
数々の映画、ドラマで活躍してきた女優・八千草薫さん。
若い頃は宝塚音楽学校も在籍していたんですよ。
今回は八千草薫のプロフィールと若い頃の画像について見ていきます。
結婚歴や息子さんについてもお話ししましょう。
八千草薫のプロフィール
- 誕生日:1931年1月6日
- 職業:女優
- 出身:大阪府
- 本名: 谷口 瞳(旧姓:松田)
- ニックネーム:ヒトミ、ヒトミちゃん
- 身長:154cm
- 事務所:柊企画
- 配偶者:谷口千吉(映画監督・1957年-2007年)死別
- 子供:なし
八千草薫さんは1931年に大阪府に生まれます。小さい頃に父を亡くし、母子家庭で育ちました。
戦時中に青春時代だったため、華やかな世界に憧れを抱くようになります。
聖泉高等女学校(現:プール学院高等学校)に通っていたとき、宝塚音楽学校に合格しました。
1947年に宝塚歌劇団に入団。
初めはコミカルな役を演じることが多かったのですが
1952年の「源氏物語」で紫の上の少女時代を演じ、人気に火が付きました。
それ以降は清純派の娘役として宝塚のトップに躍り出ます。
そしてその年に宝塚歌劇団に新設された映画専科に所属し、数々の映画作品に出演。
退団前から東宝などの映画にも出演していたんですよ。
ですから宝塚に所属しているころから知名度が高く「お嫁さんにしたい女優」の1位に選ばれることも多かったです。
1957年に宝塚歌劇団を退団後は、映画、ドラマの世界で活躍します。
おっとりした良妻賢母の役が多かったですよ。現在でもそういう役が似合うイメージがありますね。
2014年に宝塚歌劇団は創立100周年を迎えました。
それを記念して設立された「宝塚歌劇の殿堂」に選ばれたんですよ。すごいですよね。
2017年にすい臓がんが見つかりますが、手術をして復帰します。
「黄昏」という舞台の主演も果たしたんですよ。
2019年4月に「やすらぎの刻〜道」というドラマの主演が決まっていたのですが、がんが肝臓にも転移したため、降板しました。
2019年10月24日にすい臓がんのため亡くなりました。88歳でした。
八千草薫さんはこれまでに数々の映画、ドラマの賞を受賞しています。
八千草薫の若い頃の画像
八千草薫さんの若い頃の画像を見ると、とっても美人ですね!
華やかで、宝塚出身というのも納得です。優しそうな雰囲気は今でも変わりませんね。
結婚歴は?息子がいる?
八千草薫さんは26歳の時に映画監督の谷口千吉さんと結婚します。
谷口さんとはなんと28歳の年の差です。
親子といってもおかしくないほど年が離れている上に、谷口さんはバツ2という結婚歴がありました。
八千草薫さんは人気絶頂の時でしたから、色々と話題になりました。
ですが、八千草薫さんと谷口さんは2007年に谷口さんが亡くなるまで50年間夫婦生活を送ったんですよ。
オシドリ夫婦として有名でした。
八千草薫さんを調べていると「息子」というキーワードが出てきますが、
実際にはお二人の間に息子さんを含むお子さんはいません。
八千草薫さんの過去の出演ドラマ
八千草薫さんは1960年に「愛妻物語」でドラマデビュー。
良妻賢母役が多いですが、大河ドラマ「花の生涯」、銭形平次、徳川女絵巻など時代物に出ることも多かったです。
ですが、1977年に主演した「岸辺のアルバム」では、家族に隠れて不倫する主婦を演じ話題になりました。
このドラマで役者の幅が広がったんですね。
「岸辺のアルバム」でドラマ大賞の主演女優賞を獲得しました。
ドラマ史上に残る名作だとも言われているので、機会があれば見てみてください。
その後も「茜さんのおべんとう」、連続テレビ小説「やんちゃくれ」、「フードファイト」、
「白夜行」、「最高の離婚」などのドラマに出演しました。
連続テレビ小説「風見鶏」、「ロマンス」、「君の名は」などドラマのナレーションとして出演することもありましたよ。
1960年から50年以上コンスタントにドラマに出続けているというのは本当にすごいですよね。
まとめ
八千草薫さんのプロフィールと若い頃の画像を見てきました。
若い頃は宝塚歌劇団に所属し、退団後は良妻賢母役などでドラマ、映画で活躍されてきた八千草薫さん。
映画やドラマで数々の賞も受賞しています。
2019年に亡くなるまで数々の作品に出ていましたよね。
八千草薫さんの出演する新作がもう見られないというのは残念であります。
プライベートでは映画監督の谷口千吉さんと結婚。
谷口さんはその前に2度の結婚歴があります。
八千草薫さんとの間に息子、娘はいませんでした。