
山口百恵さんといえば若い頃絶大なる人気を誇っていた歌手ですよね。
現役時代は女優としても活躍していたんですよ。
結婚を機に芸能生活にピリオドを打った山口百恵さんなのですが、若い頃はどういった活躍をしてきたのでしょうか。
今回は芸能生活を引退するまでの人生を若い頃の画像を交えながら振り返っていきたいと思います。
山口百恵さんの引退で思い出すのが引退コンサートで最後マイク置くパフォーマンスをした事ですよね。
この瞬間の画像を今回は再度こちらでご紹介したいと思います。
歌手デビューのきっかけとは!

山口百恵の若い頃画像
1959年1月17日に東京都渋谷区で生まれた山口百恵さんは、小学校2年生から芸能界デビューした中学生までを横須賀市で過ごしていました。
ここでびっくりなのが中学生で芸能界デビューした事ですよね。
この詳細をご紹介しておくと、山口百恵さんは中学生時代にオーディション番組「スター誕生!」に出場し、
牧葉ユミさんの「回転木馬」を歌い上げ、準優勝に輝いたのが芸能界にはいるきっかけとなったんです。
なんと準優勝した後すぐ約20社のレコード会社から指名を受ける事になりました。
そもそもこの番組に出場するきっかけとなった理由が、当時同い年で既に活躍していた歌手森昌子さんがテレビで活躍しているのをみて
「私も森昌子さんのような歌手になりたい!」と強く思った事だったんですよ!
幼少期~学生時代までの画像を載せておりますが、若い頃からめちゃくちゃかわいかったんですね!
いよいよ歌手山口百恵誕生!

山口百恵の若い頃画像
「スター誕生!」で準グランプリに輝いた翌年、山口百恵さんは映画「としごろ」に女優として出演し、
さらにはこのタイトルと同じ曲を出し歌手としてもデビューを遂げたんです。
山口百恵さん、当時のキャッチコピーは「大きなソニー大きな新人!」というものでした。
それほど、芸能界ではこの大型新人山口百恵さんに期待をしていたってことがわかりますね♪
しかし、このデビュー曲「としごろ」はスタッフたちの期待以下のセールスに止まってしまったので
セカンドシングルである「青い果実」では早速イメチェンをはかり大胆な歌詞を歌わせるという路線をとったんです。
このイメチェンが見事成功し山口百恵さんは歌手として大きく花咲くことになりました。
聞いた事ある方もいるかもしれませんが当時、森昌子さん・桜田淳子さんと共に「花の中三トリオ」と呼ばれていたんですよ。
中学生なのにここまで活躍するなんて本当にびっくりですよね!
ちなみに、ここでは花の中三トリオの画像を載せておりますがいかがですか?
山口百恵さんももちろん可愛いのですが、この中三トリオの三人とも素敵ですね!
歌手山口百恵の活躍とは!

山口百恵の若い頃画像
見事イメチェンを果たした山口百恵さんはその後歌手に女優にと活躍していきました。
ちなみに当時、人気だった辺見マリさんや夏木マリさん、さらに山本リンダさんなどのセクシー路線の歌手とは違い、
年齢も低いためビジュアル面では純粋な少女という路線でうっていました。
純粋な容姿の子が大胆な曲を歌うというこのギャップが山口百恵さんの人気を独特なものにしていったといわれているんですよ。
ここでは、伝説の歌姫山口百恵さんのヒット曲を3つ当時のジャケット写真などで振り返っていきたいと思います。
いい日旅立ち

山口百恵の若い頃画像
いい日旅立ちは1978年11月にリリースされた山口百恵さんにとって24枚目のシングルなのですがこの楽曲を使った
日本国有鉄道(国鉄)による旅行誘致キャンペーンのキャッチコピーにも選ばれたものなんですよ。
さらにこの曲は谷村新司さんを楽曲製作者に迎えて作られたもので累計売上はなんと100万枚を記録し
当時山口百恵さんの楽曲の中で最大のヒット曲になりました。
現在でも様々な場所で流れている曲なので一度は聞いた事あるのではないでしょうか。
プレイバック パート2

山口百恵の若い頃画像
この曲は1978年5月にリリースされた山口百恵さんにとって22枚目のシングルです。
こちらの曲も、CMなど幅広い場所で使用されていますので親しみがあるのではないでしょうか。
プレイバックをに翻訳すると「巻き戻し(巻き戻す)」を意味なのですが、
歌詞は現在起こっている出来事のキーワードをきっかけに昨夜のことを思い出すという展開になっているんですよ。
先ほどの「いい日旅立ち」と比べるとちょっとクールな歌い方も印象的でした。
横須賀ストーリー

山口百恵の若い頃画像
この曲は1976年6月にリリースされた山口百恵さんにとって13枚目のシングルです。
ちょうどこの頃「青い果実」など早熟な少女という自分の歌手イメージに違和感を抱いており
歌手活動への熱意がうすれはじめていった時「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を前年ヒットさせていた
阿木煬子さん作詞・宇崎竜童(作曲)コンビを自ら指名して生まれたのがこの「横須賀ストーリ」だったんですよ。
「これっきりこれっきりもうこれっきりですか」という印象的なフレーズをきいた事ありませんか?
画像で確認、引退コンサートでマイク置く?

山口百恵の若い頃画像
歌手として女優として絶大なる人気を誇っていた山口百恵さんなのですが、
1979年10月20日大阪厚生年金会館のリサイタルの最中に「私が好きな方は、三浦友和さんです。」とまさかの恋人宣言を突然しました。
ファンにとっては衝撃的な出来事だったんですが、衝撃はそれだけにとどまりませんでした。
なんと翌年1980年3月7日三浦さんとの婚約発表と同時に
「わがままな生き方を私は選びました。(中略)お仕事を全面的に引退します!」と芸能人引退宣言したのです。
そしてあの引退コンサートの伝説のシーンですよね。
この引退コンサートは1980年10月5日、日本武道館で開催されたのですが、ファンにたいして
「私のわがままを許してくれてありがとう!幸せになります。」とコメントし最後に「さよならの向こう側」を涙を浮かべながら歌い上げました。
そしてその後、ファンに向けて深々とお辞儀をしてマイクをステージ中央にそっとおいて
静かに舞台裏まで歩きながら去っていきました。
引退コンサートでマイク置くシーンの画像を載せておりますのでご覧ください。
本当にこんな美しい綺麗な方がマイク置いて去っていくなんて悲しい最後ですよね。
ファンも衝撃的だったと思いますが中学生から芸能界で活動していた山口百恵さんにとっても
本当にいろんな思いがあったのではないでしょうか。
まとめ
今回は、若い頃から芸能界で歌手や女優として活躍していた山口百恵さんの芸能生活を
若い頃の画像を交えながらご紹介していきましたがいかがでしたでしょうか。
引退した後でも山口百恵さんの曲はいろんなところで今もなお愛され続けていますよね。
引退コンサートでのマイク置く所も、今もなお私の記憶の中で残っっています。
山口百恵さん自身は、引退後はまったくテレビなどに出演をされておりませんが
山口百恵さんの長男・次男ともに歌手や俳優として活躍されています。
今度はこの子どもたちが母の分までがんばってってほしいですね♪
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