
コメンテーターなどでおなじみの山田五郎さん。
よく見かけるけれど、本業は何なのか知らないという人もいるかもしれませんね。
若い頃は講談社の社員でもあり、現在は美術評論家でもあるんです。本もたくさん出版されていますよ。
今回は山田五郎さんのプロフィールと若い頃の画像を振り返っていきたいと思います。
山田五郎のプロフィール
- 誕生日:1958年12月5日
- 職業: 美術評論家、タレント、コラムニスト
- 出身:東京都渋谷区
- 本名:武田 正彦
- 愛称:教授、五郎さん
- 配偶者:あり
- 子供:不明
山田五郎さんは1958年に東京都渋谷区で生まれます。本名は武田 正彦。
山田五郎が芸名だったというのは少しびっくりしました!
評論家の方って本名なのかと思っていましたよ。
東京出身の山田五郎さんですが小学校3年生の時に大阪に引っ越しました。
最初はクラスメイトから「東京もん」といわれて否定されていたんだとか。
それでもいじめになるのではなく、立ち向かっていったため大ゲンカして児童相談所に連れていかれたこともあるんですよ。
大阪になじむために必死で頑張り、いつしか関西弁を自然に話すようになりました。
全国ネットの番組では標準語で話されていますが、関西の番組では関西弁で話されているんですよ。
全国ネットの番組しか見ていない人にとってはびっくりですよね。
小学生の時、名門私立灘中学校を受験しますが失敗。公立中学校に通います。
ここで一時期非行に走りますが、更生。中学2年からは引きこもりだったというから極端ですよね。
家で読書ばかりしていると、父親に怒られました。
本を読むのはいいことだと思うのですが、もっと勉強して東大に入ってほしかったようなんです。
その反発で読書のほか、映画、音楽、美術などにものめりこんでいったのです。
大学受験は東京大学には合格できず、上智大学に進学しました。
大学卒業後は講談社に入社。
「ホットドッグ・プレス」「ソフィア」「チェックメイト」「TOKYO1週間」などの人気雑誌を担当していました。
タレントのいとうせいこうさんが後輩で一緒に「ホットドッグ―」を作っていたこともあるんですよ。
山田五郎さんはホットドックグーの編集長でした。
講談社の社員だった山田五郎さんですが、テレビに出るようになったのは突然。
知人の構成作家さんから急遽出演を依頼されたんですよ。
「タモリ倶楽部」に出演していた赤井英和さんが降板することになり、代わりの出演者を探していたんです。
これがきっかけでさまざまなテレビ番組に出演するようになります。
2004年に講談社を退社し、フリーの編集者、そして評論家、タレントなどとして幅広く活動されるようになりました。
山田五郎の若い頃の画像
山田五郎さんの若い頃の画像を見ると、今とは全く印象が違いますね。
色々な方の若い頃の画像を見てきましたが、ここまで違う人は初めてといってもいいくらいです。
若い頃はやや長髪でイケメンですよね!
山田五郎さんは若い頃はタレントではないのであまり画像がなかったのですが、他の画像も見てみたいですね。
美術評論家としての活動
山田五郎さんは美術評論家としても活動されています。
様々な雑誌の編集をされていたので知識も豊富なのですが、美術は特に得意なジャンルだと本人が話していますよ。
特に西洋美術に詳しいんです。東京国立博物館評議員も務められています。
美術に関連する本も出版されているので次の章でご紹介しますね。
出版している本について
山田五郎さんは本もたくさん出版されています。
初めに出版したのは「百万人のお尻学」という本です。
1992年だったのでまだ講談社に勤めていたころですね。
一社員としてこの本を出版するのはすごいですね。
美術に関する本はこやま淳子さんとの共著である「ヘンタイ美術館」、
「知識ゼロからの西洋絵画史入門」、「知識ゼロからの西洋絵画入門」などがあります。
他にはグルメ本、対談集、趣味である腕時計に関する本など本のジャンルも幅広いですよ。
興味のある本があればぜひ読んでみてください。
まとめ
山田五郎さんのプロフィールと若い頃の画像を見てきました。
若い頃は講談社の社員として様々な雑誌の編集をしてきた山田五郎さん。
ふとしたきっかけでテレビ出演するようになり、タレントとして活動するようになりました。
その後講談社を退社し、現在はフリーの編集者、コラムニスト、美術評論家、タレントと舩場広い活動をされています。
本のジャンルも幅広いので気になるジャンルのものがあれば読んでみてはいかがでしょうか。