
80歳を過ぎた今でもおきれいな若尾文子(わかおあやこ)さん。
若い頃はどんな感じだったのか気になりますよね。
若尾文子さんの若い頃の画像とプロフィール、出演した映画や現在の活動について見ていきましょう。
若尾文子のプロフィール
- 誕生日:1933年11月8日
- 職業:女優
- 出身: 東京都東京市荒川区(現 東京都荒川区)
- 本名: 黒川文子
- 配偶者:西館宏幸(1963-1969・デザイナー)黒川紀章(1983-2007、建築家・死別)
- 子ども:なし
若尾文子さんは東京都荒川区出身。5人兄弟の末っ子として生まれました。
やがて戦争が起こり宮城県仙台市に疎開します。
疎開先で宮城県第二女子高等学校に進学しますが、中退しています。
疎開中に仙台で舞台をされていた長谷川一夫さんに出会い、なんとなく「女優になりたいんです」といったそうです。
その時は「卒業してからおいで」といわれて終わりました。
東京に戻ると義兄が「大映5期ニューフェイス」の募集を見て、若尾文子さんの写真を勝手に応募したそうです。
そして、見事合格。1951年に映画の世界に足を踏み入れることになります。
1952年に久我美子さんの代役として出演した映画「死の街を脱れて」でデビューしました。
昔から女優になりたかったという訳ではなく、なんとなく女優になったんですね。
それでいてこれだけ長年続けられるというのはすごいです。やはり実力があったからですよね。
徐々に知名度がアップし、人気女優となっていきます。数々の映画賞も受賞したんですよ。
ですが1971年に大映が倒産。以後はテレビドラマや舞台などで活躍するようになります。
1988年には大河ドラマ「武田信玄」に出演。
ナレーションの「今宵はここまでに致しとうござりまする」というセリフが流行語大賞を受賞し、注目されました。
プライベートでは30歳の時にデザイナーの西館宏幸三と結婚しますが、6年後に離婚。
1976年にテレビ番組での対談がきっかけで黒川紀章さんと恋仲になります。
ですが黒川さんは当時結婚していて娘もいました。
娘が20歳になるまで7年待って1983年に再婚します。50歳の時ですね。
黒川さんと再婚してからは仕事を抑えるようになりました。
若尾文子の若い頃の画像が美人すぎる!
若尾文子さんは現在でもおきれいですが、若い頃の画像を見るとやっぱり美人ですね。
日本映画界の正統派美人女優と言われていたのも納得です。
若尾文子の出演した映画
若尾文子さんは、1952年に「死の街を脱れて」で映画デビュー。
デビューした年に9本もの映画に出演されています。すごいですね。
翌年の「十代の性典」で一気に知名度が上がります。この映画はヒットしたのですが、かなり批判も受けました。
「性典女優」などと呼ばれてしまう時期もあったのです。
出世作ではあるのですが、この作品の話題は長年NGになっていました。
ですがその年の「祇園囃子」では演技力が高く評価され、イメージを払拭。
可憐でありながら堂々とした女性を演じ演技が高く評価され、日本を代表する女優になっていきます。
なんと、260本以上の映画に出演しているんですよ。
これだけの映画に出演している女優さんはなかなかいないのではないでしょうか。
特に、川島雄三監督、増村保造監督の作品に多く出演し、力をつけていきます。
1960年代になると数々の映画賞を受賞するようになります。
1970年に大映が倒産すると映画の出演はぐっと減り、テレビドラマを中心に活躍するようになります。
ですが、2005年には行定勲監督のラブコールによって「春の雪」で18年ぶりに映画出演しています。
現在はどうしてる?
若尾文子さんが最後に映画に出演したのは2005年、ドラマは2013年、舞台は2012年です。
最近は女優として活動されていないんですね。
現在住んでいるマンションには女優の奈良岡朋子さん、演出家の石井ふく子さんも住んでいるそうです。
3人で仲良くのんびり過ごしていらっしゃるのかもしれませんね。
まとめ
若尾文子さんのプロフィールと若い頃の画像、出演した映画、そして現在まで見てきました。
若い頃は大映の映画で活躍。その後はテレビドラマなどに出演されてきました。
最近は女優としての活動も少なくなってきましたが、また若尾文子さんの演技がみられる日が来るといいですね。