
声優として数々のアニメ作品に出演されていた内海賢二さん。
すでに亡くなってしまいましたが若い頃から現在までどんな役をやってきたのでしょうか。
内海賢二さんのプロフィールとワンピースなど声優としての代表作を画像とともにご紹介していきます。
内海賢二のプロフィール
- 誕生日:1937年8月26日
- 職業:声優、俳優、ナレーター
- 出身:福岡県北九州市
- 本名: 内海 健司(うつみ けんじ)
- 身長:162cm
- 事務所:賢プロダクション
- 配偶者:野村道子(声優)
- 子供:長男(内海健太郎)
内海賢二さんは1937年に福岡県北九州市に生まれます。
両親が幼い頃に亡くなったため、家族とは離れて暮らしていました。
中学校からはお弁当屋さんで住み込みで働きながら学校に通っていました。苦労人だったんですね。
高校は夜学でしたが、そこで演劇部に所属しました。
1955年にNHK小倉放送局の専属劇団に合格します。高校3年生の時でした。
このころからラジオドラマや朗読など声の仕事を始めたんですね。
その後、九州朝日放送に移りKBCラジオの専属声優になります。
仕事は順調だったのですが、地方では限界があると感じ1958年に上京します。
友人の紹介で、子供向けドラマ「熱血カクタス」に出演。
さらに「海賊バイキング」のナレーターも担当します。
その後、アニメ「狼少年ケン」で声優デビュー。
それから数々の作品に出演に出演し、アニメ声優界のレジェンドと呼ばれるようになりました。
内海賢二さんは声優だけでなく、劇団未来劇場などに出演し舞台俳優としても活躍。
1960-1970年代には時代劇などにも出演していました。
プライベートでは同じく声優の野村道子さんと結婚。
「けんぷファー」で夫婦共演をしています。
この作品では「ラジオ けんぷファー 賢二と愛のわくわく臓物ランド」というラジオ番組にも出演していたんですよ。
1984年に賢プロダクションを設立し、経営しています。
内海賢二さんは会長で、息子の内海健太郎さんが社長。
初めは内海賢二さんの個人事務所だったのですが、経営などに不慣れだったため
奥様の野村道子さんも移籍し、共同経営するようになりました。
このエピソードからも夫婦の仲の良さがうかがえますね。
2013年にがん性腹膜炎のため亡くなりました。75歳でした。
内海賢二の若い頃の画像
内海賢二さんは声優で、表に顔を出す仕事ではないので若い頃の画像があまり見つかりませんでした。
数少ない写真を見てみると、昔から髭も健在で変わらないですね!
声優としての作品紹介
内海賢二さんは声優だけでなく役者としても活動されていましたが、
ここでは声優としての代表作を紹介させていただきますね。
「狼少年ケン」でデビュー
内海賢二さんが声優デビューしたのは1963年。「狼少年ケン」の片目のジャック役でした。
その年には鉄腕アトムにも出演されています。
その頃は「宇津見健二」という表記で活動されていたんですよ。
他にも「ジャングル大帝」「魔法使いサリー」「黄金バット」など誰もが知っている名作アニメに多数出演されています。
これは、声優界のレジェンドと呼ばれるのも納得ですね。
「Dr.スランプアラレちゃん」や「ドラゴンボール」にも出演!
1981年から1992年まで「Dr.スランプアラレちゃん」の巻則巻千兵衛役で出演されていました。
同じく鳥山明さん原作の「ドラゴンボール」でも神龍、天下一武道会アナウンサー、
レッド総帥と、多数の役を演じられています。
この時期は他に北斗の拳の「ラオウ」なども有名です。
「ワンピース」にも出演していた!
内海賢二さんはワンピースにも出演されています。
が、実はテレビには出演されておらず、映画版の「エルドラゴ」役でした。
2000年代以降も数々のアニメに出演していたんですよ。
2014年の「パックワールド」のオブテュース役が遺作となりました。
まとめ
声優として若い頃から活動されてきた内海賢二さんの人生を画像とともに振り返ってきました。
「狼少年ケン」でデビューし、鉄腕アトムや魔法使いサリーのような名作に出演。
あられちゃんやドラゴンボールを経て、ワンピースにまで出演されていたんですね。
まさに声優界のレジェンドと呼ぶのにふさわしいです。
内海賢二さんはもう亡くなってしまいましたが、内海賢二さんの出演した作品は今後も残っていきますね。