
上田晋也さんはくりぃむしちゅーのツッコミ役ですが、現在では芸を披露するのではなく司会進行が主な仕事内容になっていますね。
おでこのシワについて弄られる事もある彼ですが、若い頃はどんな容姿をされていたのか気になりませんか?
今回は上田晋也さんの若い頃の画像や、出演された番組「上田晋也のサタデージャーナル」についてご紹介します。
もくじ
上田晋也のプロフィール
- 生年月日:1970年5月7日
- 職業:芸人
- 出身:熊本県熊本市南区
- 本名:同じ
- 所属事務所:ナチュラルエイト
現在の相方である有田哲平さんとは学生時代からの親友。
同じ部活に所属し、プロレスやお笑いの話題で盛り上がり仲良くなっていきました。
学生時代からお笑い芸人になる事を目指し、有田哲平さんにもその事を告げていました。
司会進行を務める仕事のせいか真面目なイメージの強い上田晋也さんですが、実は学生時代は番長として君臨し
有田哲平さんが付き従っていく様な関係だったんだとか。
上の画像にて学生時代の上田晋也さんを載せていますが、確かにリーゼントで番長感が溢れていますね。
切れ長の瞳のせいかより鋭さが増してかっこいいです。
番長というとワルで一切勉強しない!という印象になってしまいがちですが、上田晋也さんはとても勉強家で
一浪の末なんと早稲田大学に合格されます!
しかし芸人の夢が捨てきれず大学中退され、面接を受けようと決意されました。
ここで有田哲平さんとの奇跡的なエピソードがあります。
彼とは連絡を特に取っていなかったのですが、上田晋也さん達はたまたま共通の友人の家で会い
明日には履歴書を事務所へ送る予定だとお話されます。
そこで有田哲平さんも便乗し、2人で面接を受けて芸能界デビューが決まりました!
もしも彼と会うことがなければ上田晋也さんはピン芸人として活躍されたか、全く別の道を歩まれたかもしれませんね。
最初のコンビ名はくりぃむしちゅーではなく「海砂利水魚」でした。
コンビ名を変えたきっかけは番組内で、改名する事を罰ゲームとして受けた勝負に負けてしまった事。
くりぃむしちゅーと名付けたのは内村光良さんでしたが、今ではすっかりこのコンビ名が定着しているので
勝負に負けてしまってよかったのかもしれませんね。
それでは早速、上田晋也さんの若い頃、漫才をされていた時代の画像を見ていきましょう。
上田晋也の漫才時代!若い頃は当然シワなし
若い頃は漫才をされていた、海砂利水魚時代の上田晋也さん。
20代で肌も凄く綺麗!現在ではよく弄られるおでこのシワも全然ありませんね。
スーツ姿の印象も強い上田晋也さんですが、当時はヒップポップ系の衣装でテレビに出られていたようです。
現在と若い頃では結構ギャップを感じますが、どちらの上田晋也さんも堂々としています。
さすが番長だっただけあり、20代にも関わらず既に貫禄を感じますね。
この若い頃の画像を見ると、現在の上田晋也さんは歳を取ったせいかとても柔和な印象になった気がします。
【画像あり】サタデージャーナルや司会を務めた番組
ここでは上田晋也さんが出演されたサタデージャーナルや司会をされた番組についてご紹介します。
芸人達の様々なボケに華麗につっこむ「しゃべくり007」
こちらはバラエティ番組「しゃべくり007」にて司会進行をされる上田晋也さんの画像です。
切れ長でちょっぴり怖い印象のあった目元が、垂れ目になったことで優しいイメージにガラリと変わりました。
しゃべくり007では上田晋也さんが司会を務め、6人の芸人が椅子に座りゲストを迎えてトークするスタイル。
芸人達が一斉にボケる事も多いですが、上田晋也さんのツッコミは常に的確で爽快です。
「上田晋也のサタデージャーナル」では真剣に議論を交わす
「上田晋也のサタデージャーナル」ではお笑いよりも、真剣な眼差しで政治的問題等についてトーク。
番組のテーマによって自身の振る舞いもガラッと変えられる上田晋也さん。
早稲田大学に入られたくらいですから、真面目な内容にもしっかりと付いていけるでしょうね。
まとめ
今回は上田晋也さんの若い頃の画像や司会番組、「上田晋也のサタデージャーナル」についてご紹介しました。
番長、お笑い、そして報道と様々な顔を見ていきましたがどれも表情が全然違って印象深かったですね。
これからも司会者として番組を盛り上げていってほしいです!