
落語界やバラエティーだけでなく、映画、ドラマなどでも活躍されている笑福亭鶴瓶さん。
今では大ベテランですが、若い頃はどのような感じだったのでしょうか。
今回は鶴瓶さんのプロフィールと若い頃の画像について見ていきます。
鶴瓶のプロフィール
- 誕生日:1951年12月23日
- 職業:落語家、タレント、俳優
- 出身:大阪府中河内郡長吉村(現・大阪市平野区)
- 本名:駿河 学(するが まなぶ)
- ニックネーム:鶴瓶さん、べーさん、鶴瓶師匠、べー師匠、鶴瓶ちゃん、まーちゃん、まなぶくん
- 事務所:デンナーシステムズ、松竹芸能
- 配偶者:玲子(元あのねのねのメンバー・1974年~)
- 子供:長男(駿河太郎、俳優・ミュージシャン)・長女
笑福亭鶴瓶さんは1951年に大阪府で生まれます。5人兄弟の末っ子でした。
中学生の時に落語に興味を持ち、学校の教室で高座を作って自己流の落語を披露していたんです。
高校では友人たちと3人で落語研究会を立ち上げました。
「浪花亭無学」という高座名まであったんですよ。
高校時代にすでに落語家を志望していたのですが、父親からは反対されていました。
大学は京都産業大学に進みます。
この大学を選んだ理由は、一度訪れたときに出会った女性にもう一度会えるのではないかという期待があったから。
この女性というのはのちに結婚する玲子さんです。鶴瓶さんはすごく一途なんですね。
大学でも落語研究会に所属しました。高座名は童亭 無学(どうてい むがく)に変更。
玲子さんにも無事再会し、落語研究会のマネージャーになりました。
大学時代に6代目笑福亭松鶴さんに弟子入りし、本格的に落語の道を進むことになります。
初めは高座名がなく「笑福亭駿河」と名乗っていたのですが、松鶴さんに「どこかひとつ抜けたところがある」
「井戸のつるべのタガが取れたような」ということで「鶴瓶」という名前を付けられました。
1972年に初舞台に立ち、その後も落語界で活動していきます。
鶴瓶さんは実は早くから落語家としてだけでなくタレント活動もしていました。
なんと入門4日目に松鶴さんの代わりにラジオに出演したんですよ。
そして、近畿、中京地方でテレビやラジオで活躍していったんです。
1982年に毎日放送の「突然ガバチョ!」の司会で注目され、全国ネットの番組にも出演するようになりました。
1987年から「森田一義アワー 笑っていいとも!」にレギュラー出演。
さらに「鶴瓶上岡パペポTV」が全国ネットになったこともあり一気に知名度がアップ。
現在のようにテレビで活躍するようになりました。
鶴瓶の若い頃の画像
若い頃の鶴瓶さんはアフロにしていた時代もあるんですね!画像を見ると芸人らしい感じがしますね。
顔は今とほとんど変わりなく、どんな髪型でもすぐに鶴瓶さんだと分かります。
落語界ではどんな存在なの?
鶴瓶さんが落語家だということは知っていても、実際の落語は見たことがない人も多いでしょう。
また、あれだけテレビに出ているのに本当に落語をやっているの?と思う人もいるかもしれませんね。
鶴瓶さんはタレント活動の合間に「鶴瓶噺」、「笑福亭鶴瓶落語会」という独演会も定期的に行っているんですよ。
東西落語研鑚会に所属し、演芸イベント「帝塚山・無学の会」を主宰したり、桂南光さん、
桂文珍さんとの落語会「夢の三競演 三枚看板 大看板 金看板」を年に1回開催したり、
落語家としても精力的に活動しているんです。
映画やドラマにも多数出演!
鶴瓶さんはタレントとしてバラエティ番組に出ているだけでなく、俳優として映画やドラマにも出演しています。
1976年に「桃太郎侍」でドラマデビュー。
同じ年に「狂った野獣」で映画デビューも果たしています。
初めはチョイ役でしたが徐々に重要な役柄を演じるようになりました。
ドラマでは「ブラックジャックによろしく」、「タイガー&ドラゴン」、「西郷どん」など。
映画では「東京上空いらっしゃいませ」、「奈緒子」、「家族はつらいよ」などに出演されています。
2019年には「閉鎖病棟 -それぞれの朝-」で主演も務めました。
まとめ
笑福亭鶴瓶さんのプロフィールと若い頃の画像を見てきました。
中学生の時から落語に魅了され、大学時代から落語家に弟子入りし活動してきた鶴瓶さん。
早くからタレント活動も行い、映画やドラマにも出演されています。
多忙でありながら落語家としても精力的に活動されているんですよ。
今後の鶴瓶さんの活動も楽しみですね!