
人気長寿番組「いいとも!」では31年間も司会をしてきたタモリさん。
そんなタモリさんは一体どういう人生を歩んできたのでしょうか。
若い頃の画像を中心にその知られざる過去をまとめていきたいとおもいます。
また「友達はいらない」という名言があるそうなんですがその真相にも迫ります!
もくじ
タモリさんの子ども時代が大人びすぎ!?学生時代を一挙公開!
- 本名:森田一義
- 1945年8月24日
- 出身地:福岡県福岡市
福岡で生まれたタモリさんですが、幼少期から大人びており幼稚園入学時の見学をしにいった時に
在園時がお遊戯している姿を目撃し「僕はしたくない!」と入園を拒否したんですよ。
しかも当時の趣味は人間観察・・毎日坂道に立っては人間観察をしていたんです。
そんなタモリさん小学3年生の時に不幸が襲ったのです、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ
なんと針金の結び目が右目に突き刺さり失明してしまったんです。
当時2週間休学して治療をしたそうなんですが、残念ながら視力は戻らなかったそうです。
中学生時代は、キリスト教に興味があったわけでもないのに宣教師の身振り手振りが面白いからというだけで
近所の教会に通っていたんですよ、またスポーツにも情熱を燃やしており剣道部や陸上部に所属していました。
高校を卒業して1年間浪人し、タモリさんは早稲田大学に合格、そして入学しますが大学二年生のGWに友達と3人で
旅行に行き、後で返そうと仕送りししてもらっていた学費をその旅費に使ってしまったのだそう。
しかし返済することができず3年生の時、学費未納となってしまい末籍処分となってしまいました。
若い頃のタモリ画像!デビューは熱烈なラブコールから!?
大学処分後も東京でいろいろしながら収入を得ていました。
まもなく福岡に引き戻され生命会社で約3年間保険外交員として働きましたのですが旅行会社に転職し、
そのあとその旅行会社の系列のボウリング場に部署移動、そこで支配人となるのです。
いやータモリさん社会人経験が豊富だったんですね。
ただトーク力も抜群なので保険会社や旅行会社のような接客業に向いていますよね!
そんなタモリさんはいよいよお笑い芸人を志ざします、月一で上京し「素人芸人」として即興芸などを披露するという
福岡との二重生活をしていました。
そんな時に面白い事をやっている人がいるという噂を聞きつけ赤塚不二夫さんがタモリさんの元に訪れました。
タモリさんの芸を気に入った赤塚さんは「タモリさんの芸をもっとみたい!福岡にかえしたくない」と考え、
赤塚さん保有の4LDKのマンション、保有しているベンツなどすべて自由に使っていいから帰らないでくれと
熱烈なラブコールを送ったのです!
タモリさんは了承し、福岡から東京へと進出しました。
ただでマンションに住み、さらには月20~30万円のお小遣い付きのすごく最高の生活を送っていたんですよ。
「オフィスゴスミダ」の所属タレントとなったタモリさんはバラエティー番組でテレビに初出演しました。
そこで披露するタモリさんのネタは非常に面白くたまたまその番組をみていた黒柳徹子さんから
「この人誰なの?すごいじゃない!」とすぐに問い合わせがきてなんと「徹子の部屋」の前番組「13時ショー」に
2度も出演したんですよ。
ただ同時期金銭的なトラブルにより「オフィストラブル」は解散、当時まだ素人として出演していたタモリさんを
赤塚さんは本格的に芸能界にデビューさせるべく、大手芸能プロダクションと契約を結んだのです。
若い頃の画像で確認!いよいよ芸能界デビュー!友達はいらない?
1976年4月、深夜番組にて正式に芸能界デビューをはたします。
30歳と遅咲きのデビューだったので先輩は年下が多かったんだとか、なんと明石家さんまさんもタモリさんにとって
先輩芸人なんです、びっくりですよね。
その後バラエティー番組でレギュラーの座も射止めるんですよ、さすがですよね、スピードがはやいです。
当時の芸は、イグアナのような体芸、でたらめ言語のハナモゲラなど他の芸人から一目おかれる芸で、
テレビ的にはけっこうギリギリな線のネタが多かったそうですよ。
そんな少しマニアックなネタが多かったタモリさんですが人気ラジオ番組「オールナイトニッポン」の
メインパーソナリティーに選ばれ徐々に支持を集めていくのです。
若い頃の画像を載せていますが、見事にタモリさんはデビュー当時から黒いサングラスをかけていたんですね。
なぜか逆にサングラスをかけていないタモリさんをテレビ上ではあんまりみたことないので、
サングラスなしのタモリさんの方がレアですよね。
ちなみに芸能界で活躍していくにあたってタモリさんは名言を残しているんです、それが「友達はいらない」という言葉です。
この名言は様々な場所で発言してるそうなんです、一体どういう事なのでしょうか?
タモリさんは「友達100人できるかな」とい入学時必ずと言っていいほど歌われるこの曲が大嫌いなんだそうです、
「そんな事で人生決めてるんじゃないよ!」と・・。
そしてタモリさんはどんどん自身の友達を減らしていったのです。
友達を厳選する!といったかんじでしょうか、この「友達はいらない」という名言に男らしさがにじみ出ますよね。
若い頃の画像で振り返る「笑っていいとも」とタモリさん
「森田一義アワー笑っていいとも!」は1982年に放送開始しました。
2014年までつづいた長寿番組ですよね、私もまだ若い頃風邪などで学校を休んだ日などにみていましたよ。
面白い番組でしたよね。
番組開始当初はあまり視聴率は上がりませんでした、ただタモリさん自身も視聴率で苦戦することは予想しており
長くて3ヶ月くらいだろうと番組終了を覚悟していたそうです。
ただ何度か放送すると半年もたたないうちにぐんぐん視聴率が伸びていき、なんと1989年から2013年までの
25年間連続で民放放送での首位を獲得しました、すばらしい実績ですよね。
また当時の撮影秘話なのですが、この番組は生放送で視聴者が出演するコーナーも多く、
事前にオーディションをするんですがオーディションに受かって出演予定だった人が報道など特別番組編成のため、
出演できずじまいという事もあったとのことです。
また週5の生放送だったので、タモリさんが長期休暇を取りたい場合は平日も含めないといけませんよね?
休暇をとる時は、各曜日のレギュラーの代表者が番組中の総合司会者を引き受けていました。
そんな長寿番組であった「森田一義アワーいいとも!」は残念ながら視聴率が低迷してきたことを理由に
2014年3月31日を持って最終回を迎えましたね。
番組名物「テレフォンショッキング」の最後の日のゲストは誰だったと思いますか?実はビードたけしさんだったんです。
そしていよいよ最後、番組のフィナーレを迎える時のタモリさんの締めの言葉はいつも通り
「それじゃーまた、明日もまたみてくれるかな?」「いいともー!」でした。
こうして31年半の間、平日のお昼番組として人気を博していた長寿番組の幕は閉じたのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
人間観察が趣味という幼少期を経て、こうして長寿番組の司会者までと成長していくのですね。
若い頃のタモリさん、やはり昔からサングラスだったんだなと画像で再確認することができましたね。
また「友達はいらない!」という名言・・,理由が男らしかったですよね。
残念ながら長寿番組である「いいとも!」は終了してしまいましたが、「世にも奇妙な物語」など
まだまだたくさん活躍しているタモリさん。
これからも体調などには十分に気を付けてこれからも頑張ってほしいですね!
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