
バナナマンのネタ作りを担当している設楽統さん。
今では司会なども務め、中堅芸人という感じですが若い頃はどのような感じだったのでしょうか。
設楽統さんのプロフィールと若い頃の画像を見てみましょう。
ファッションセンスがいいと評判の私服も紹介します。
設楽統のプロフィール
- 誕生日:1973年4月23日
- 職業:お笑いタレント、俳優、声優、司会者
- 出身:埼玉県秩父郡皆野町
- 本名:同じ
- 別名義:ティタラ
- 身長:175cm
- 事務所:ホリプロコム
- 配偶者:一般女性(1999年~)
- 子供:娘
設楽統(したらおさむ)さんは1971年に埼玉県秩父郡に生まれます。
6歳上の兄と3歳上の姉がいる末っ子です。
設楽統さんはテレビなどでも仕切っているイメージなので末っ子というのはちょっと意外でした。
埼玉県立秩父農工高等学校機械科を卒業し、すぐに芸人になったのではなく西武鉄道に就職しています。
父が西武グループの西武長瀞ホテルの支配人だった縁で西武鉄道に入ったそうです。
西武池袋線小手指駅で駅員として働いていたんですよ。
駅員として働いているときもアナウンスにギャグを挟むなどしていたので、やはりそこは芸人という感じがしますね。
先輩にも可愛がられていたのですが半年でやめ、フリーターになります。
その後、父親の知り合いの紹介で渡辺正行さんの付き人になり、芸能界デビューします。
1993年に知人に一緒にお笑いをやろうと誘われます。
メンバーは4人でその中に日村勇紀さんもいました。
4人で2回ほど稽古したのですが、日村勇紀さんと一緒に脱退し、2人でコンビを組むことになります。
初めは「設楽日村」という名前だったのですが、すぐにバナナマンに改名しました。
バナナマンと名づけたのは設楽統さんです。
外見は黄色い「黄色人種」だが、一皮剝けば白色の「白人」のごとく振る舞う日本人
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%8A%E3%83%9E%E3%83%B3#%E7%95%A5%E6%AD%B
という意味があるそうです。
バナナマンではボケを担当していますが、ボケとツッコミを明確に分けているわけではなく、臨機応変にやっているんですよ。
「日村勇紀の面白さを世に伝える事」がバナナマンでの自分の役割だと話しています。
初めは舞台などを中心に活躍していましたが、徐々にテレビにも出演するようになりました。
2003年に内村プロデュースの若手芸人の対決コーナーに不定期で出演するようになります。
他にはおぎやはぎや劇団ひとりも出演していたんですよ。
2008年にバナナマンとしてキングオブコントに出場。
決勝まで行きますが、バッファロー吾郎に敗れ、準優勝でした。
プライベートでは1999年に結婚。
19歳の時から付き合っていた彼女と28歳の時に結婚したんですよ。子供は娘が1人います。
設楽統の若い頃の画像
現在のバナナマンは、圧倒的に日村勇紀さんのビジュアルに目が行きますが、
若い頃の画像を見ると、設楽統さんもなかなか目立っていますね。
顔はそれほど変わっていませんが、髪型が特徴的で目を引きます。
日村勇紀さんよりも目立つ頃もありますね。
ファッションセンスが光る私服を紹介!
設楽統さんはファッションセンスが良く、私服がおしゃれというのでも有名です。
ジャケットやシャツ、ネクタイなどきちんとしたファッションですが、迷彩柄など遊び心を入れるのが得意で、おしゃれですよね。
また、帽子も設楽統さんのファッションのポイントになるのではないでしょうか。
ブランドはCRIMIEやROTARを着ることが多いようです。
ピンではどんな活動をしている?
設楽統さんはバナナマンとしてだけでなく、ピンでも活動されています。
2011年に「ゴレンタン」で司会を務めてから、「ノンストップ!」、「〜世界にひとつ〜ミラクルレシピ!」、
「クレイジージャーニー」でも司会を担当しました。
他にはピンで役者デビューもしています。
1997年に「土曜ワイド劇場 女医は見ていた!」でドラマデビュー。
2005年には「ホールドアップダウン」で映画デビューしました。
2011年に「少年マイロの火星冒険記3D」の日本語吹き替え版で声優デビューし、
その後もいくつかの作品で吹き替えを担当しています。
まとめ
設楽統さんのプロフィールと若い頃の画像、私服などファッションについても見てきました。
昔はコント職人として舞台で活躍することが多かったですが、徐々にテレビ番組にも出演するようになります。
今では司会を担当することもありますよ。
バナナマンとしてもピンでも様々な活躍をされている設楽統さん。今後の活動も楽しみですね!