
数々の映画、ドラマなどで活躍されてきた宍戸錠さん。
悪役を演じるために豊頬手術をしていたことは有名ですよね。
そんな宍戸錠さんですが、若い頃はどのような感じだったのでしょうか。
宍戸錠さんのプロフィールと若い頃の画像、自宅と今についても見ていきます。
宍戸錠のプロフィール
- 誕生日:1933年12月6日
- 職業:俳優、タレント、司会者
- 出身:大阪府大阪市北区
- 本名:同じ
- 愛称:エースのジョー
- 身長:174cm
- 事務所:宍戸錠事務所
- 配偶者:宍戸游子(2010年死別)
- 子供:息子(宍戸開・俳優)、長女(宍戸史絵)
宍戸錠さんは1933年に大阪府大阪市北区で生まれます。
かっこよく、珍しい名前なので芸名かな?と思っていたのですが本名なんですよ。
俳優になるべくしてなったような名前ですよね。
宍戸家は子だくさんで、子供で最後にしようという思いで「錠前を描ける」という意味で「錠」と名づけられました。
ですが実際はその下に弟が生まれています。
当時住んでいた家は環境が悪かったため、幼少期に家族で東京に移り住みました。
小学校6年生の時に東京大空襲があり、自宅が焼けてしまいます。
遠い親戚の住む宮城県斎川村に移住し、高校卒業までそこで暮らしたんですよ。
高校時代から映画が好きで、俳優の道に進もうと、日本大学藝術学部に進学します。
同期にはケーシー高峰さん、砂塚秀夫さん、赤江瀑さん、嵐徳三郎さんなどがいたんですよ。
今となっては豪華なメンツですよね。
ですが宍戸錠さんは日活に合格したため、大学は2年で中退しました。
「日活ニューフェイス」の第一期生となり、映画「警察日記」で1955年に俳優デビューします。
翌年の1956年に豊頬手術をしました。
そのままでしたら二枚目路線でブレイクしたかもしれないですが、頬を膨らませることにより、悪役らしくなりました。
悪役に徹していこうと決意したんですね。
まだ23歳の時、しかもこの時代にすごい決断だと思います。
豊頬手術したことが功を奏し、悪役としてさまざまな映画に出演します。
「事件記者」など創世期のテレビドラマにも数多く出演しました。
映画が衰退してくると同時に、テレビに活動の舞台を移します。
テレビドラマだけでなく、バラエティにも出演するようになったんですよ。
1982年から1983年までは「食いしん坊!万才」のレポーターも務めました。
ちなみに、宍戸錠さんの息子の宍戸開さんも1998年から1999年までレポーターを務めています。
2001年にトレードマークだった頬のオルガノーゲンを摘出する手術を受けました。
この様子はテレビでも放送されて話題になったんですよ。
なぜこの時期に摘出したのかと聞かれると、宍戸錠さんご本人は「普通のジジイの顔に戻りたくてやった」と話しています。
宍戸錠の若い頃の画像
「警察日記」でデビューした若い頃の宍戸錠さんはどちらかといえばシュッとした顔立ちでした。
ですが、その翌年に豊頬手術をしています。1枚だけ手術前と思われる画像を見つけました。
普通にイケメンですね。息子さんにも似ている気がします。
手術をしてからはやはり独特な雰囲気がありますね!
自宅はどんな感じ?
宍戸錠さんは1996年に有名建築家の鈴木恂さんの設計で自宅を建てました。
ですが、2013年に全焼しているんです。
宍戸錠さんは2010年に奥様と死別され、1人暮らしをされていました。
宍戸錠さんが外出している際に古い電熱器から発火し、全焼してしまったのです。
思い出の品や日用品などもすべて燃えてしまったのでさぞかしがっかりされたでしょうね。
その後は、しばらくホテル住まいをしていて、賃貸マンションに移りました。
今は何をしているの?
宍戸錠さんはテレビドラマに出演されたのは2009年の「キイナ」が最後。
映画は2012年の「ファイナル・ジャッジメント」が最後です。
2006年に虚血性心不全で入院されたことがあり、そこから仕事をセーブされていたのかもしれません。
今についてですが2020年の1月18日に虚血性心疾患のため自宅で亡くなっています。
86歳でした。発見されたのは1月21日で警察や救急隊が確認したそうです。
まとめ
宍戸錠さんのプロフィールと若い頃の画像、自宅と今について見てきました。
若い頃は悪役として映画やドラマで活躍されてきた宍戸錠さん。
若い頃に悪役に徹するために豊頬手術をするなんてなかなかできないことですよね。
今後も宍戸錠さんの作品は語り継がれていくことでしょうね。