
数々の人気番組の司会などをしていた島田紳助さん。
2011年に芸能界を引退されてしまいましたが、今は何をされているのでしょうか?
また、若い頃はどのような感じだったのかも気になりますよね!
今回は島田紳助さんと若い頃と今の画像を見ていきたいと思います。
島田紳助のプロフィール
- 誕生日:1956年3月24日
- 職業:日本の元お笑いタレント、司会者、作詞家、プロデューサー
- 出身:京都府京都市南区唐橋
- 本名: 長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)
- 身長:170cm
- 事務所:吉本興業(2011年まで)
- 配偶者:一般女性
- 子供:長女、次女、三女
島田紳助さんは1956年に京都府京都市南区に生まれます。
島田紳助は芸名で本名は長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)といいます。
真面目な父親で、小学3年生から家庭教師を付けられ、勉強に力を入れて育てられていました。
ですが島田紳助さんに合わず、中学、高校の時は反抗して荒れた生活を送っていたんです。
1974年の18歳の時に吉本興業に入ります。
1976年に吉本花月の進行スタッフをしていた松本竜介さんを誘って「島田紳助・松本竜介」という漫才コンビを結成します。
「若者に受ける漫才」というのを考え、当時漫才師の定番だったスーツスタイルを辞め、
リーゼントにつなぎの作業服で舞台に立っていました。
落ちこぼれの本音を代弁する漫才で若者からの支持を得ていたんですよ。
1977年に舞台デビューしてから一気に注目を集め「オレたちひょうきん族」などの人気番組に出演していました。
ですが、漫才でやっていくことに限界を感じ1985年に解散しています。
コンビ解散後はピンのお笑いタレントとしてさまざまな番組に出演してきました。
冠番組などもたくさんあり、司会を務める番組も多かったですよね。
2000年代に入るとプロデュース業も行うようになります。
「紳助の人間マンダラ」という番組ではランディーズ、ロザン、キングコングという芸人3組でアイドルグループを結成。
プロデュースをしました。
2005年には「クイズヘキサゴンⅡ」で羞恥心やpaboなどのグループをプロデュースしました。
この時はカシアス島田という名義で活動。
どのグループも大ヒットして一大ブームになりましたよね。
また、2001年には吉本興業から「漫才ブーム復活のために何かできないか?」という相談を受け、「M-1グランプリ」を開催。
審査委員長として出演されていました。
この番組からも数多くの人気芸人が誕生していますよね。
プロデューサー、司会者として活躍していましたが2011年に突然芸能界を引退しました。
島田紳助の若い頃の画像
島田紳助の若い頃の画像を見ると、だいぶシュッとしていますね。
全体的な印象は今とあまり変わりませんが、若い頃はやはりヤンチャです。
若者向けの漫才をして受けていたというのも納得ですね。
引退して今は何をしている?
島田紳助さんは2011年に芸能界を引退されています。
今何をされているのか気になりますよね。
引退されてからはテレビには一切出ず、ハワイと石垣島を行き来しているそうです。
引退前はたくさんのレギュラー番組を持っていましたから、相当蓄えもあったんでしょうね。
もう働かなくても遊んで暮らせるのではないでしょうか。
見た目もだいぶ変わりましたよね。
引退後は一切メディアに出ていなかった島田紳助さんですが、
2020年1月にmisonoさんのyoutubeに出演したことで話題になりました。
これを機に芸能界復帰という噂もありましたが島田紳助さんは完全否定。
今が楽しいし、芸能界に未練もないから戻るつもりはないと発言されています。
代表的な番組は?
島田紳助さんは引退前は数々のレギュラー番組を持っていました。
人生が変わる1分間の深イイ話、クイズ!紳助くん、紳助社長のプロデュース大作戦!、
開運!なんでも鑑定団、クイズ!ヘキサゴンII、行列のできる法律相談所。
特番のTBSオールスター大感謝祭も必ず司会をされていました。
司会を変更して現在も放送されている番組もあることから人気番組ばかりだと分かりますね。
まとめ
島田紳助さんのプロフィールと若い頃の画像を見てきました。
若い頃は漫才師として、その後タレント、司会業、プロデューサーとしてマルチな活動をされてきた島田紳助さん。
2011年に突然芸能界を引退してしまいました。
今は復帰の可能性はないと発言されていますが、またテレビで島田紳助さんを見たい気もしますよね。