瀬戸内寂聴の若い頃の写真|娘との関係とは?

小説家であり、天台宗の尼僧として今現在も活動を続けている瀬戸内寂聴さん。

 

尼僧としての瀬戸内寂聴さんのありがたいお言葉に耳を傾ける方も多いと思います。

 

彼女はなぜこの道に進もうと決めたのか気になりませんか?

 

今回は、分かる限り瀬戸内寂聴さんの人生を若い頃の写真を中心にまとめていきたいと思います。

 

また娘さんとの関係についても少し触れてみますね。

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小説家になるまでの生い立ちとは!

 

  • 小説家ペンネーム:三谷晴美
  • 生年月日:1922年5月15日
  • 出身地:徳島県徳島市

当時仏具店を営んでいる両親の元に生まれた瀬戸内寂聴さんなのですが、元々寂聴さんのご両親は苗字を「三谷」と名乗っていたんです。

 

ですが瀬戸内寂聴さんが、小学生時代に「瀬戸内」という姓の親戚と養子縁組をしたため、本人もそれ以降

「瀬戸内」という姓に改めたという話があります。

 

幼少期の瀬戸内寂聴さんは大変大人しい性格で本を読むのが非常に大好きな子どもだったので、小説家となった原点もここからなのかもしれませんね。

 

東京女子大在学中にはなんと21歳という若さでお見合い結婚をし、翌年に娘を出産、転勤になった夫に同行する形で北京に引っ越しました。

 

しかし、日本に帰国した時に夫の教え子と関係をもってしまい、夫や娘を残し家を出てしまったという過去があるんです。

 

そんな瀬戸内寂聴さんはその後、正式に夫と離婚をして(娘は夫が引き取る)東京で本格的に小説家になる事を決意しました。

 

元々の姓である「三谷」をペンネームに使用し「三谷晴美」という名前で少女小説を書き、当時雑誌で募集を

募っていた小説コンテストに応募して、見事入選したんです。

 

この事がきっかけとなり新人小説家として活動を開始、小学館や講談社で少女小説や子供向けの童話を中心に書いていました。

 

それにしても若い頃の瀬戸内寂聴さんの素顔の写真初めて見ました!

 

髪の毛の長い頃なんて本当に新鮮ですよね。

小説家として本格的に活動開始!

 

新人時代を経て、1956年処女作「痛い靴」を発表します。

 

また同年に「女子大生・曲愛玲」という作品で賞を受賞するくらい才能を発揮していきました。

 

しかし、その受賞作品の一章であるタイトルの内容がポルノ小説だということで当時批判されてしまい批判家により

レッテルを貼られてしまうんです。

 

そのことにより、依頼なども減ってしまい本を出版する事もできずに雑誌や週刊誌などで作品を発表する日々を送ることになりました。

 

同人誌での活動も当時しており連載物の小説を開始したり、「夏の終わり」というタイトルの小説を書きました。

 

なんとこの作品は、自身が以前経験した既婚者であるのに関係をもってしまったという恋愛体験を描いたものなんですよ。

 

この小説は非常に当時評価され、女流文学賞というものを受賞することになり、瀬戸内寂聴さんはここで作家としての

地位を確立する事になりました。

 

その後、受賞作品とまではいきませんが小説家として恋愛物や伝記小説などを書く人気小説家として活躍していきます。

 

こちらでも、当時小説家として活躍していた頃の瀬戸内寂聴さんの写真を載せていますが非常に美しくスタイルがいい女性だったんですね。

 

現在の姿からは本当に同一人物とは思えないです!

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出家の道のりは長かった・・いよいよ尼増へ!

 

人気小説家として、瀬戸内寂聴さんはこの後も小説を世に送り出していくのですがこの小説家の他にも

もう一つ顔があるのはご存知の方がほとんどですよね。

 

それは尼僧・・。

 

当時小説家だけではなく修道女を志していたんですが、既婚者で娘もありながら他の男性と関係をもったという行状により

教会側から修道女になることを拒否されてました。

 

その後、出家を志して多くの寺院に頭を下げるもここでも拒否をされてしまうのです。

 

やはりそれだけ当時はこのような話題はご法度だったんでしょうね。

 

しかしそんな瀬戸内寂聴さんも1973年にやっと中尊寺天台宗で得度し方名を今現在の名前寂聴となりました。

(当時寂聴のみで1987年に瀬戸内寂聴さんに改名します)

 

このように長い道のりで尼憎として翌年、60日間の行を乗り越えて週末には法話をも行う人気尼憎になったのです。

尼憎としてのその後の活躍

 

テレビでも瀬戸内寂聴さんの説法を番組などの企画で耳にすることがあるのですが、

瀬戸内寂聴さんがいつも地方公演なので「笑うことが大切である」という事を説いているんです。

 

私は幼いころに、この説法をテレビでみたことがあるんです。

 

そして、当時まだ小さいながらにこの言葉に感銘を受けたことを覚えています。

 

「笑うこと」人と関わり生きていくためには必ずしもコミュニケーションという手段が必要で笑うことも当たり前ですよね。

 

しかしながら今の世の中、心から笑うという事も少なくなってきているように思います。

 

私も当時、笑うことの大切さについて考える事がなかったので、幼いながらに生きることと笑うことの共通点や

笑うことの大切さについて考えたりしていました。

 

彼女は自身が体験した事なども含め、地方公演などでは語っているんだそうです。

 

そんな瀬戸内寂聴さんの座右の銘は「生きることは愛すること」なんですよ。

 

現在の年齢はなんと90歳を越えているんだそうです、びっくりですよね。

まとめ

 

いかがでしたでしょうか。

 

瀬戸内寂聴さん、小説家と尼憎さんという二つの顔があったんですね。

 

若い頃の過ちは娘さんと離れた事と語っている瀬戸内寂聴さんですが、後にこの娘さんとは和解し関係も修復しているという事です。

 

彼女の苦労というのは並大抵のものではなかったんでしょうが、こうして今活躍しているのはそんな過去があったからこそではないのでしょうか。

 

ちなみに携帯電話の時代の時はなんと瀬戸内寂聴さん携帯小説も書いた事があるんですよ。

 

時代にしっかりとついていく姿勢、非常にお若いですよね。

 

まだまだ自分のため、人の為にともちろん高齢ではあるので体には十分に気を付け、小説家として尼僧として活躍してほしいですね。

 

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