
フィギアスケートでトリノオリンピックで金メダルに輝いたプルシェンコ選手。
現在は現役を引退されていますが、若い頃はどのような感じだったのでしょうか、画像で確認しましょう。
羽生結弦選手が憧れたという伝説のプログラムについても見ていきます。
また、インスタの情報も紹介するのでチェックしてみてください。
プルシェンコのプロフィール
- 誕生日:1982年11月3日
- 職業:フィギアスケート選手
- 出身:ソビエト連邦 ソルネチヌイ
- 本名:エフゲニー・ヴィクトロヴィチ・プルシェンコ
- ニックネーム:ジェーニャ
- 身長:178cm
- 所属:ユビレイニー・スポーツクラブ
- 配偶者:マリア・イェルマーク(2006年-2008年)、ヤナ・ルドコフスカヤ(2009年-)
- 子供:長男、次男
プルシェンコ選手はロシアのハバロフスク地方で生まれ、2歳の時にボルゴグラードに引っ越しました。
スケートに出会ったのは4歳の時。
母親の友人からフィギアスケートの靴をもらったことをきっかけに始めたんです。意外なきっかけですよね。
7歳の時に、ノービス競技会クリスタルスケートで優勝します。
全ソビエト規模の大きな大会だったんですよ。しかも、周りはみんな10-11歳。
プルシェンコ選手は最年少で優勝したんです。当時から才能があったというのが分かりますよね。
11歳の時にアレクセイ・ミーシンコーチに出会い、親元を離れてサンクトペテルブルクへ行きます。
後に家族もこの地に引っ越してきました。
ミーシンコーチのチームは後のオリンピック選手も所属するエリートチームでした。
13歳の時に世界ジュニア選手権で6位入賞。この時プルシェンコ選手は参加選手の中で最年少。
そして翌年の世界ジュニア選手権では見事優勝したのです。
次のシーズンからはシニアの大会に出場します。1998年の世界選手権では3位。
初出場の15歳で3位というのはすごいですよね。
1998年には選手が棄権したため、急遽長野オリンピックにも出場しました。
翌年の世界選手権では2位でした。
ですが翌年2000年は優勝候補であったにもかかわらず、調子を崩し4位。2001年に優勝しました。
2002年にはけがなどもありましたがソルトレークシティーオリンピックで銀メダル。
2003年、2004年と世界選手権を連破し、向かうところ敵なしに。
2003年からはけがも多く、万全な体調ではありませんでしたが2006年のトリノオリンピックで金メダルに輝きます。
オリンピック後から2008年までは休養し、2009年に復帰。
2010年のバンクーバーオリンピックは銀メダルでした。
2014年のソチオリンピックでは団体で出場し、ロシアは銀メダルでした。
3大会連続でメダルを獲得しているのはすごいですよね。
個人でも出場する予定だったのですが、練習中に腰を痛め、棄権しました。
その後もけがと闘いながら協議を続けていましたが、2017年に健康上の理由で引退しています。
プルシェンコの若い頃の画像
プルシェンコ選手は今でもかっこいいですが、全盛期だった若い頃の画像を見ると、さらにかっこいいですね。
衣装も王子様のようで素敵です。
伝説のプログラムとは?
プルシェンコ選手は、フィギュアスケートの旧採点方式と新採点方式の両方でオリンピックメダルを獲得しています。
男子フィギュアスケート選手で両方のメダルを持っているのはプルシェンコ選手だけなんですよ。
しかも、旧採点方式の時には芸術点が満点の「6.0」を獲得した伝説のプログラムがあります。
それは「ニジンスキーに捧ぐ」というプログラムで「Origin」という曲を使用していました。
プルシェンコ選手に憧れていた羽生結弦選手も、2019年にこの曲を取り入れたプログラムを行ったんですよ。
インスタではどんな投稿をしている?
プルシェンコ選手は現在、インスタを開設されています。
プルシェンコ選手のプライベートの姿をのぞき見できますよ。
インスタは翻訳の機能もあるのでチェックしてみてください。
プルシェンコ選手のアカウントにも息子さんが登場しますが、息子さん専用のアカウントもあります。
プルシェンコ選手に似ていてかわいらしい息子さんなのでこちらもチェックしてみてください。
まとめ
プルシェンコ選手のプロフィールと若い頃の画像を見てきました。
世界選手権で何度も優勝し、オリンピックで金メダルを獲得したこともあるプルシェンコ選手。
6.0を獲得した伝説のプログラムは羽生結弦選手にも影響を与えているようです。
2017年に現役引退されましたが、インスタで近況なども分かるのでチェックしてみてください。