
プロ野球選手として、監督として活躍してきた王貞治さん。現在はプロ野球名球会顧問も務めています。
そんな王貞治さんの若い頃はどのような感じだったのかご存じですか?
今回は王貞治さんのプロフィールと若い頃の画像を見てみましょう。
さらに、娘さんと、再婚した奥さんについても調べてみました!
王貞治のプロフィール
- 誕生日:1940年5月20日
- 職業:元プロ野球選手・監督、福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長、日本プロ野球名球会顧問
- 出身:東京府東京市本所区(現・墨田区)
- ニックネーム:ワンさん
- 身長:177cm
- 配偶者:一般女性(1966年-2001年)、一般女性(2018年ー)
- 子供:三女
王貞治さんは東京府東京市本所区(現・墨田区)に二卵性双生児の弟として生まれました。
生まれたときは仮死状態で出生届を出すのも見送られてたというエピソードがあります。
双子の姉は1歳3カ月で亡くなり、王貞治さんも4歳ころまでは病弱だったそうです。意外ですよね。
また、王貞治さんの父親は中華民国国籍です。王貞治さん自身もじつは中国国籍なんですよ。
ですが、太平洋戦争中は母親の姓である「當住」を名乗っていた時期もありました。
父と母は太平洋戦争後にようやく正式に結婚できたのでした。
野球との出会いは子供の頃の草野球でした。
小学4年生の時にクラスメイトと野球チームを作り活躍していたのですが、進学した中学校には野球部がなかったのです。
高校生が中心の野球クラブ「厩四ケープハーツ」に所属し、高校生たちと一緒に野球をしていました。
自分より実力が上の人と野球をしていたので上手くなったのかもしれませんね。
この野球チームに所属しているとき、プロ野球選手の荒川博さんに出会い、アドバイスをもらい左打ちに転校しました。
高校は荒川さんの母校でもある早稲田実業高校に進学。もちろん野球部に入ります。
1年生の夏に甲子園に出場。王貞治さんは1年生でありながらレギュラーとして出場しました。
甲子園は2回戦で敗退してしまいますが、秋からは1年生でエースを任されます。
そして翌年の春の甲子園で優勝し、一気に注目を集めました。
高校2年生の時から読売ジャイアンツからスカウトがあり、初めは進学を考えていたのですが、
卒業後に読売ジャイアンツに入団することになります。
現役時代は1959年から1980年まで読売ジャイアンツで活躍しました。
1976年からは選手兼コーチを務め、1981年からは助監督、1983年から1988年までは監督を務めます。
その後、1995年 - 2008年は福岡ダイエー(ソフトバンク)ホークスの監督を務めました。
2006年には日本代表の監督も務めています。
王貞治の若い頃の画像
王貞治さんの若い頃の画像を見てみると、堀が深くてイケメンですね!人気が出るのも納得です。
これで選手としての成績もよいのですから、昔は相当もてたんでしょうね。
娘の名前に込められた意味とは?
王貞治さんは1966年に結婚。夫人との間に3人の娘がいます。
次女の王理恵さんはスポーツキャスターなどとして活躍されていますよね。
ちなみに、理恵さんとはそれほど似ていないです。
理恵さんだけでなく3人の娘さんにはすべて「理」という字がついています。
日本では結婚すると女性は姓が変わることがほとんどです。
いつまでも王の娘でいてほしい、という意味で「王」と「里」という字が入った「理」という字を使ったのです。
親の思いが伝わるエピソードですね。
再婚相手はどんな人?
1966年に結婚した恭子さんは2001年に亡くなり、王貞治さんとは死別になります。
亡くなったときには遺骨が盗まれ、お金を要求されるという事件もありました。
ですが王貞治さんは2018年に78歳で再婚します。前の奥様が亡くなってから17年後ですね。
お相手は当時60歳の一般女性です。18歳年下の方ということになりますね。
福岡中州の有名料亭の女将さんで、福岡ソフトバンクホークス監督時代に料亭に行ったときに知り合ったそうです。
まとめ
王貞治さんのプロフィールと若い頃の画像、娘、再婚相手について見てきました。
生まれたときは病弱だった王貞治さんですが、野球を始めてからはすぐに才能が開花し、
高校時代、プロ野球選手時代、監督時代と常に注目されてきました。
現在は顧問として活動されていますが、現在もプロ野球界に大きな影響を与えている人の一人ですよね!