
元々、吉本工業の新喜劇の舞台で舞台女優として活躍してきた西川ヘレンさん。
いつも明るく元気なイメージの西川ヘレンさんですが、実は若い頃から様々な苦難を乗り越えてきたんです。
今回は若い頃の画像を中心に、そんな西川ヘレンさんの人生を振り返っていきます。
また西川ヘレンさんはハーフなのか?父親はだれ?
その真相にも迫ってきますのでぜひご覧ください!
もくじ
西川ヘレンはハーフ?父親はどんな人?西川ヘレン子ども時代
- 本名:西川ヘレン(旧姓 杉本)
- 生年月日:1946年10月6日
- 出身地:京都府京都市
京都市で生まれた西川ヘレンさんは、父親がアイルランド系アメリカ人、母親が日本人の間でハーフとして生まれました。
ちなみにこの西川ヘレンさんのヘレンという名は当時親が敬愛していたヘレンケラーから名付けられたそうです。
みなさんヘレンケラーってご存知でしょうか?視覚と聴覚の重複障がい者(盲ろう者)でありながらも、
世界各地を周りながら障がい者の教育や福祉関係の発展に尽くしたという非常に偉大な方ですよね。
そこからヘレンと名付けられたなんて、本当に素晴らしく素敵だと思いませんか?
ただ父親は元々軍隊であり、日本にちょうどMPとして訪問した時に母親と出会ったそうです。
そこで愛が育まれ西川ヘレンさんが生まれたのですが、なんと当時父親にはアメリカに既に妻子がいたそうなんです!
なので、西川ヘレンさんは生まれながらにして母子家庭という環境で育ちました。
西川ヘレンさんの祖父が残した家に母親と叔母とともに生活していくのですが、家だけはあったけれど生活自体苦しく、
当時ハーフが珍しいという時代だったため「ハーフだ!」といじめられることもあった過去をおくってきました。
若い頃の画像あるよ、吉本で芸能界デビュー!舞台での売れっ子に
西川ヘレンさんは、シャンソン歌手やミュージカル女優になりたいと思っており通っていた高校を中退、吉本興業に入りました。
吉本に入ってからは、吉本喜劇で大活躍しておりいつも都合が悪くなると「私、外国人やから、日本語わかりません」
というギャグで人気女優となりました。
芸人になって人気となった西川ヘレンさんですが、当時まだ芸人として食べていくことができなかった
西川きよしさんと坂田利夫さんを養っていたんですよ!
養うためにはお笑いの舞台だけでなく、余興の仕事などでシャンソンを歌いながら生計を立てていたこともありました。
すごいですねー!二人の男性を養うたくましい女性、ヘレンという由来に恥じないくらい困っている人を
当時助けて生活していたんですね、同じ女性として憧れてしまいます。
若い頃の画像を載せておりますがさすがハーフ、美しいですよね。
今でも非常におきれいな西川ヘレンさん、若い頃は相当可愛いのでは?と思っておりましたがやはり期待は裏切らないですよね。
ほれぼれしてしまうくらいの美貌です、このまま成長していったというかんじです!
西川きよしさんとの結婚、そこには大きな問題があった
舞台女優としてシャンソンの歌い手として大忙しだった西川ヘレンさん、多忙で活躍していた西川ヘレンさんは
出演中に熱を出してしまい、その劇場の近くにある西川きよしさんの実家にお世話になることになりました。
西川きよしさんは貧乏で二間に親や兄弟などなんと7人で暮らしていたんです。
そこで休ませてもらった西川ヘレンさんは、家族が文字通り一家総揚げで看病してくれたことに感謝しました。
さらには自身が母子家庭育ちなので「狭いけど家族みんな仲良く楽しく暮らす素敵な家だなと思えたんだとか。
このことがきっかけとなり二人は交際し結婚も意識しだすのですが、当時事務所や西川ヘレンさんの母親、
そして西川きよしさんの家族も大反対だったんです。
その理由は、西川きよしさんに家族を養っていくだけの収入がなかったからです。
当時、大活躍だった西川ヘレンさんの月収はなんと20万超え、それに比べて西川きよしさんの月収は2万円前後だったのです。
ただその反対で諦めるわけにはいかなかったのです、なぜならすでに西川へレンさんのおなかの中には赤ちゃんがいたから・・・・。
周りの反対を押し切り結婚した二人ですが、西川きよしさんはなかなか仕事が増えることはなかったそうです。
結婚や妊娠を機に吉本興業を辞めた西川ヘレンさんが、商店街のイベントやキャバレーなどで歌ったりと
アルバイトをしながら家計を支えていったんです。
そのことについて今でも夫である西川きよしさんは感謝し続けています。
若い頃のお二人の画像。本当に幸せそうですよね、ちなみにプロポーズはなんとヘレンさんのほうからだったそうですよ!
西川ヘレンさんが西川きよしさんに「もろおてくれませんか?」と尋ねると、大きな目をむいて
「僕もずっといいたかったんや!」と返事が返ってきたんですって!
素敵ですね、それにしても西川ヘレンさんのプロポーズの方言がとてもかわいらしいです!
西川ヘレンが体験した壮絶な多重介護とは!!
西川ヘレンさんは、自身の母親と西川きよしさんの父と母合計三人の介護を同時にしてきたという壮絶な過去があるんです。
とにかく昔から明るく元気だった西川ヘレンさんは、その苦悩をも笑いながら乗り越えてきたんです。
実母と義理母の外出時には、ヘレンさんが順番に髪をとかしてあげて化粧をするのが習慣となっており、
義理父を外に連れ出すときは「いきましょう!」ではなく「一緒についてきてくれませんか?」と誘っていました。
ある日突然、急に外に飛び出していって行方が分からなくなったり、パニックに陥ったり、救急車で運ばれたりと
ヘレンさんが介護する中、たくさんの問題がったんだそうです。
ただそんな時でもヘレンさんは慌てることなくその問題と向き合っていきました。
この介護の時、ちょうど西川きよしさんは芸人として人気になっており、仕事で家を留守にする時期が多かったんです。
夫の助けを得られないままの介護は、やはり想像を絶するものだったのですが
(当然ですよ、一人でも大変なのにそれが3人なんですから!)
一時は離婚しようと考えたことも合ったそうなんですが仕事をがんばる西川きよしさん、そして子ども達がこの問題に
力をくれたと思いとどまったんです。
こうして、看取るまで西川ヘレンさんはこの介護問題と最後まで向き合っていきました。
この壮絶な体験に関して、画像も載せておりますが本を出版したり講演会を行ったりしております。
まとめ
いかがでしたでしょうか、西川ヘレンさん父親がアメリカ人でハーフだったんですね。
そんな彼女の人生は本当に様々な問題があり、それを一生懸命乗り越えてきたんです。
今現在の明るい西川ヘレンさんからは想像できないくらいの事だったんですね!
そして、オシドリ夫婦として今現在も仲睦まじい二人は2017年の「パートナーオブザイヤー」で表彰されたのは
まだ記憶に新しいですよね。
若い頃の西川ヘレンさんの画像本当にお綺麗でした!!
今後も体には十分に気を付けて自分のペースで活躍していってほしいですね!
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