
個性的な演技で舞台、ドラマ、映画などで活躍されている生瀬勝久さん。
名脇役とも言われていますよね。
今ではベテランといってもいいですが、若い頃はどのような感じだったのでしょうか。
生瀬勝久さんのプロフィールと若い頃の画像を見てみましょう。
代表的な舞台・ドラマ作品もご紹介します。
生瀬勝久のプロフィール
- 誕生日:1960年10月13日
- 職業:俳優、タレント、司会者
- 出身:兵庫県西宮市
- 本名:同じ
- 旧芸名:槍魔栗 三助(やりまくり さんすけ)
- 身長:178cm
- 事務所:リコモーション.
- 配偶者:堀本陽子(元モデル・1997年~)
- 子供:息子
生瀬勝久さんは1960年に兵庫県西宮市に生まれます。
1980年、二十歳の時に1980年に同志社大学文学部社会学科(現在の社会学部社会学科)に進学。
大学内の劇団「第三劇場」に所属していました。
1982年に、京都大学系の劇団、そとばこまちの代表を務めていた辰巳琢朗さんに誘われ、「劇団そとばこまち」に入団します。
1983年の「猿飛佐助」で舞台デビューしました。学生のうちに舞台デビューしていたんですね。
ちなみにこの時は本名ではなく、槍魔栗 三助(やりまくり さんすけ)という芸名で活動されていました。
1986年に同志社大学を卒業。内定をもらっていたのですが、断って演劇の道に進みます。
この年にはドラマ人間模様・追う男でドラマデビューもしました。
1988年にはそとばこまちの4代目代表になり、演出も務めるようになりました。
1988年からはテレビの世界にも進出します。
ですが、出演していたのはドラマではなくコント番組「週刊テレビ広辞苑」にレギュラー出演していました。
さらに、「探偵!ナイトスクープ」の初期の探偵の1人でもありました。
他にも数々の深夜番組に出演していたんですよ。
同時に、1988年に連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」に出演。
この時、本名の生瀬勝久に改名しています。元の芸名ではNHKにふさわしくないといわれたのです。
それでもバラエティ番組には槍魔栗 三助で出演していることもあったのですが、
本格的なテレビ出演のために1990年に生瀬勝久に本格改名。以後は旧芸名は使わなくなりました。
1990年代半ばから本格的にドラマに出演するようになります。
ドラマでの活動に本腰を入れるため、2001年にそとばこまちを退団。
数々のドラマ、映画作品に出演されるようになりました。
個性的な演技で名脇役といわれていましたが、2010年には「警部補 矢部謙三」で連続ドラマ初主演。
2012年には映画「スープ〜生まれ変わりの物語〜」で初主演されています。
生瀬勝久の若い頃の画像
生瀬勝久さんの若い頃、槍魔栗 三助時代の画像も見てみましたが、今とほとんど変わらないですね。
目力の強さが生瀬勝久さん!という感じです。
このまま変わらず歳を重ねれ行かれそうですよね。
舞台でも活躍!
プロフィールの項でもお話しした通り、生瀬勝久さんは元々舞台をやられていて、劇団の座長も務めていました。
1994年に初公演した「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」は人気作品で何度も再演されています。
2001年以降は劇団そとばこまちを退団されていますが、まだ舞台には立ち続けていますよ。
「橋を渡ったら泣け」、「楽屋〜流れ去るものはやがてなつかしき〜」、
「祈りと怪物 〜ウィルヴィルの三姉妹〜」などでは演出もされています。
活動の場をドラマに移したといわれていますが、まだまだ舞台も大事にされているようですね。
生瀬勝久の演技は生で見たらさらに迫力がありそう。
興味のある方は生瀬勝久さんの舞台に足を運んでみてください。
代表的なドラマ作品
生瀬勝久さんは1986年にドラマデビューし、1988年に連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」に出演されています。
連続テレビ小説は他にも2002年の「まんてん」、2016年の「べっぴんさん」に出演されています。
大河ドラマも1994年の「花の乱」から「毛利元就」、「新選組!」、「竜馬伝」、「八重の桜」など7作品に出演されました。
生瀬勝久の知名度がアップした作品はやはり「トリック」ではないでしょうか。
仲間由紀恵さんとの掛け合いが毎回見物でしたよね。
仲間由紀さんとは「ごくせん」でも共演されていて、こちらも生瀬勝久さんの代表作となっています。
まとめ
生瀬勝久さんのプロフィールと若い頃の画像、舞台、ドラマでの活躍を振り返ってきました。
若い頃は舞台が中心でしたが1990年代から徐々にドラマにも出演されるようになりました。
それでも舞台にも出続けられていますよ。
個性的で唯一無二な存在の生瀬勝久さん。今後の活躍も楽しみですね。