
俳優、作家、そして政治家と幅広い活動をされている中村敦夫さん。
若い頃はどのような感じだったのでしょうか?
今回は中村敦夫さんのプロフィールと若い頃の画像、「線量計が鳴る」など現在の活動まで見ていきたいと思います。
中村敦夫のプロフィール
- 誕生日:1940年2月18日
- 職業:俳優、政治家、ニュースキャスター、作家、脚本家、会社経営
- 出身:東京都東京市(現:豊島区)
- 本名: 中村 敦雄(旧姓:遠藤)
- 身長:179cm
- 所属事務所:中村企画
- 配偶者:あり
中村敦夫さんは1940年東京生まれ。幼い頃に戦争のため、福島県平市(現:いわき市)に疎開し、こちらで高校まで進学しています。
途中で東京都立新宿高等学校に転校し、東京に戻ってきました。
遠藤家の長男として生まれますが、両親が離婚してから中村姓を名乗っています。
高校卒業後は東京外国語大学インドネシア語学科に進学しますが、2年で退学して役者の道を進むようになります。
俳優座養成所から劇団俳優座に入り、若手のリーダー的存在でした。
ですが目立つ存在だったため、俳優座の中心人物とは対立していました。
1971年に「はんらん狂想曲」を上演しようとしたところ上層部が反対。
中村敦夫さんは自主公演で「はんらん狂想曲」を上演しました。その後、俳優座を退団しています。
この時、原田芳雄さん、市原悦子さん、菅貫太郎さんも一緒でした。
その年、大河ドラマ「春の坂道」に石田三成役で出演。一気に注目を集め知名度がアップします。
翌年、主役を務めた「木枯し紋次郎」が大ヒット。二枚目俳優としてブレイクしたのです。
179cmの長身ですし、今で言ったらイケメン俳優といったところですね。
その後、「中村敦夫の地球発22時」「中村敦夫のザ・サンデー」などの情報番組の司会を務めたことからジャーナリストとして活躍するようになります。
この頃、一時俳優はお休みしていた時期もありましたが1993年からは俳優活動と政治活動を並行して行っています。
1995年に参議院選挙に出馬するも落選。1998年に無所属として出馬し当選しています。
その後2000年には「さきがけ」の代表にもなりました。
更にその後「みどりの会議」と当の名前を変更しますが、2004年に選挙に全員落選し、解散しています。
中村敦夫さんもこれをきっかけに政治から手を引いています。
中村敦夫の若い頃の画像
中村敦夫さんの若い頃の画像を見ると、やはり「二枚目俳優」として人気を博していただけあってかっこいいですね。
長身でもあるので人気があったのも納得です。今でも面影がありますよね。
中村敦夫の現在の活動
そんな中村敦夫さんの現在、どのような活動をしているのか見ていきましょう。
2004年に政界から引退してから、また俳優として活動しています。
自らの経験を生かしてテレビドラマ「CHANGE」やサントリー「BOSS食後の余韻」のシリーズCMで
大物政治家の役を演じたこともあったんですよ。
もちろん、政治家役だけでなく色々な役をこなしています。
2000年代以降はたくさんのテレビドラマに出演していますよ。
連続テレビ小説「まれ」では主人公まれの夫の祖父で漆職人の役を演じました。
また、評論活動も続けています。「攻めの人生」という言葉が好きで、今でも攻めの姿勢は変わりません。
朗読劇「線量計が鳴る」が話題
中村敦夫さんは「線量計が鳴る」という自身の作品の朗読劇でも注目を集めています。
「線量計が鳴る 元・原発技師のモノローグ」というタイトルの通り、原子力発電所をテーマにしたお話です。
中村敦夫さんは政治家として長年環境問題にも取り組んでいたんですよね。
この朗読劇はどの会場でも盛況です。
100回公演を目指しているということですので興味がある方は足を運んでみてください。
まとめ
中村敦夫さんのプロフィールと若い頃から現在の活動まで画像とともに振り返ってきました。
俳優、作家、政治家、と幅広い活動をしている中村敦夫さん。
最近では「線量計が鳴る」という朗読劇も話題になっています。
「攻めの人生」という言葉が好きで、いくつになっても攻めの姿勢の中村敦夫さん。
今後もどんな活動をされていくのか楽しみですね。