
「大空と大地の中で」「季節の中で」などのヒット曲で知られる松山千春さん。
今ではベテラン歌手ですが、若い頃はどのような感じだったのでしょうか。
あまり想像がつかないですよね!
今回は松山千春さんのプロフィールと若い頃の画像、ヒット曲やアルバムについても見ていきます。
松山千春のプロフィール
- 誕生日:1955年12月16日
- 職業:フォークシンガー
- 出身:北海道足寄郡足寄町
- 本名:同じ
- 身長:170cm
- 事務所:オフィス・ゲンキ
- 配偶者:一般女性(1985年~)
- 子供:娘
松山千春さんは1955年に北海道足寄郡足寄町で生まれます。高校も地元の高校を卒業しています。
高校では成績優秀で先生からは大学進学を薦められていたんです。卒業時は主席だったんですよ!
ですが、この頃実家は家計が苦しく、松山千春さんは大学進学を断念し、働きに出たのです。
さらにバスケットボール部に所属していて、活躍していました。
全国大会まであと一歩というところまでいく強豪校だったんですよ。
松山千春さんは文武両道だったんですね。
小学生の頃からフォークソングが好きだった松山千春さん。
高校卒業後は叔父の店を手伝いながら、合間を見て作詞作曲をしていました。
父の仕事も手伝っていたんですよ。
19歳の時、「全国フォーク音楽祭」の北海道大会にでるのですが落選してしまいました。
翌年、STVラジオのディレクター竹田健二さんから誘われ「サンデージャンボスペシャル」の中に
「千春のひとりうた」というコーナーを作ってもらったんです。
これがメディアデビュー。
レコードデビューする前に自分の名前の付いたコーナーがあったなんてすごいですよね!
1977年に「旅立ち」でメジャーデビュー。
松山千春さんは竹田さんを「人生の師」だと慕っていたのですが、メジャーデビュー直後に亡くなってしまいます。
36歳という若さでした。松山千春さんは一時失意の中にいましたが、竹田さんの死を乗り越えて行こうと決意します。
その年の10月に「オフィス・パンタ」(現:オフィス・ゲンキ)を設立。
デビューしてすぐに個人事務所を立ち上げるなんてすごいですよね。
この年にオールナイトニッポンの2部の1978年には1部のパーソナリティーになり、北海道内から一気に知名度が全国区になりました。
さらに次々とヒット曲を生み出し、人気者になります。
人気がありながらも初めは「テレビは出るものじゃなく見るものだ」と言ってテレビ出演を拒否していました。
ですが、テレビ局のプロデューサーに「あなたにはたくさん届いた番組出演のリクエストのハガキに
何か答えなければならないはず」と言われ、考えが変わったのだとか。
それからテレビにも出演するようになったんですよ。
地元愛が強く、歌手として成功してからも実家の足寄で暮らしていました。
ですが現在は札幌で生活をしています。それでも北海道からは離れないんですね。
松山千春の若い頃の画像
松山千春といえばスキンヘッドでおなじみですが、画像を見て分かる通り若い頃はどちらかというと長めでしたね。
細身で今とはまたイメージが違いますね。
松山千春のヒット曲は?
松山千春さんには数々のヒット曲があります。
1977年に「旅立ち」でデビュー。その翌年にリリースした「季節の中で」が大ヒットします。
この曲で歌手として世間に認められたといっても過言ではないでしょう。
その他「大空と大地の中で」、「長い夜」、「君を忘れない」などのヒット曲がありますよ。
おすすめのアルバムは?
歌手生活の長い松山千春さん。
当然たくさんのアルバムをリリースしているのでどれから聴いたらいいのか分からないという人もいるでしょう。
まずはベストアルバムを、と思いますが「起承転結」というベストアルバムのシリーズだけでも14枚もあるんです。
初心者の方は2012年にリリースされた「35th Anniversary 松山千春の世界 Chiharu Matsuyama Selection」というベストアルバムがおすすめ。
もしくは配信限定の「松山千春 ベストコレクション 〜THE LATEST COLLECTIONS〜」というアルバムもありますよ!
まとめ
松山千春さんのプロフィールと若い頃の画像、ヒット曲やアルバムについてみてきました。
北海道のラジオからデビューした松山千春さん。
歌手としてヒット曲を連発しても北海道に住んでいるという地元愛が素晴らしいですよね。
今後の松山千春さんの活動も楽しみです。