
松岡修造さんといえ現役時代プロテニス選手として活躍していましたね。
現在ではスポーツキャスターとしても活躍しています。
またスポーツ番組だけではなく今ではタレントとしてバラエティ番組などにも多く出演されていますよね。
今回はそんな松岡修造さんの現役時代から現在までの活躍ぶりを若い頃の画像を中心にまとめていきたいと思います。
また松岡修造さんが活躍したウィンブルドン大会は特に重点をおいて書きますね!
松岡修造さんの実家がすごい、テニスとの出会いとは!
- 本名:松岡修造
- 出身日:東京都
- 生年月日:1967年11月6日
東宝の代11代目の社長となる実業家の父親と元宝塚のスターであった母というすごい経歴を持つ両親から三人兄弟の末っ子として生まれた松岡修造さん。
実は社長業をしている父親も元テニス選手として活躍していた過去があり世界大会に日本代表選手として選ばれた経験もあるすごい人だったんです。
家業を継ぐためにテニスとの関わりを一切った父親。
松岡修造さんも幼少期からテニスをしていたのですが、父親からなにもきいていなかったので父親が
テニス選手だったという事を知らずに育ったそうです。
8歳からテニスをはじめた松岡修造さん、当時は身長が低く太っていて周りの大人たちに悪戯してまわるようなやんちゃな性格だったそうです。
松岡さんだけではなく、当時兄と姉もすでにテニスをしていたのですが、特に兄の方は礼儀正しく、テニスの才能も抜群で
周囲のコーチたちもこの兄に対して期待をし、熱心に指導していました。
そんな兄をみてからか松岡さんも真剣に「テニスを教えてください。」と頭を下げるも、コーチからは
「修ちゃんは、ガッツがあっていーね!」とあまり相手にされていなかったのです。
松岡修造さんは兄と実力の差に落ち込むどころか、テニスにたいする情熱は日に日に増していき、
テニスの名門クラブとして名の高いスクールに入り本格的にテニスを学ぶようになりました。
いやー松岡修造さん、本当に幼いころからガッツあったんですね、テニスに対する情熱はここから始まっていたんですね。
ちなみに当時の画像も載せていますのでぜひご覧下さい、確かに若い頃・・やんちゃそうですよね(笑)
活躍しまくりの高校生時代
幼少期からはじめたテニスも非常にセンスが磨かれていき、高校に入学した後もすぐさまテニス部に入部して練習をしはじめました。
ここのテニス部のコーチはスパルタ教育で生徒を鍛えぬくことで有名、しかもテニス部の選手は全員丸坊主にして他校との区別もつけていました。
またハードな練習や上下関係の厳しさからもこのテニス部は恐れられていたんです。
入部した当初はこの厳しすぎる部活にすぐさま嫌気がさしたのですが、その厳しさは愛情の裏返しと考えるようになり
次第に猛特訓にも耐えるようになっていったのです。
学校がある日は授業が終わってからですが、土日などの休日は朝6時から夕方6時まで練習が続いたそうですよ。
入部早々インターハイの予選に出場、チームの期待に見事答えシングルスやダブルス、団体戦の三冠を達成したんです。
さすが、小さい頃から努力していた結果がここ見事に現れたんですね!
ちなみにこのインターハイ予選の時、本当はヨーロッパ遠征の選手に選ばれておりどちらに出場するか悩んだ末
インターハイを選択したという事実があります。
なんと翌年も遠征の選手に選ばれたのです。
今度ばかりは非常に悩んでしまい学校に相談するも「学校の名誉のためにインターハイを優先しろ!」という答えしか返ってきませんでした。
しかし、どうしても遠征に行きたくて周囲の猛反対をおしきり1年高校を休学をして遠征に参加することになったのです。
いよいよプロへ
遠征を終え、帰国した松岡修造さんはこんなにテニスの才能があったのですが将来プロになりたいとは思っていなかったんです。
しかしそんな彼がプロになることを決意させた出来事があったんです。
世界的テニスの名コーチ、ボブブレットが来日することになり松岡修造さんの練習をみてもらおうという事になったのです。
遠征の時に松岡修造さんの活躍ぶりに存在を覚えていたブレッドさんは了承し、本当に練習を見に来てくれました。
そして練習などをみた後、「日本では強くはなれないからアメリカへきなさい!」と声をかけてくれたのです。
この一言が松岡修造さんの人生を変え、テニスプレイヤーとして生きていくことを決断させたのでした。
単身でアメリカに行き日々プロになる為に練習を積み、1986年に選手としての松岡修造さんが誕生しました。
1988年にはなんと世界ランクの大会で100位入りします!
この大会は非常に難関であったので恩師ブレットさんも「5年で100位以内にはいれば上出来だから」
と5年を目標にさせていたのですが、なんと松岡さんはその目標をわずか3年で果たしたんです!
もうここまで来たら世界中で大騒ぎ、「世界で通用する日本人のテニスプレーヤー」と一躍注目を浴びるようになったんですよ。
若い頃の松岡修造さんの活躍している画像、本当に素敵ですよね。
ウィンブルドン選手権を経て引退へ
松岡修造さんの現役プロ生活はその後も続いていくのですが、この先ほど世界ランキングの壁はその後はなかなか突破できませんでした。
そんな中ウィンブルドン選手権の時期がやってきます。
100位に入賞できなかったので本選へは出場はできなかったのですが、出場者の欠員が急にでき本選出場資格が回ってきました。
ちなみにこのウィンブルドン大会、松岡修造さんにとってのハイライトだったんですよ。
1回戦から危ない場面を迎えるもなんとか粘り勝ち、2戦3戦と順調に勝っていきます。
そしてなんと日本人男子テニス選手として62年ぶり(前は1933年)にベスト8にはいったのです。
もうこの時ばかりは松岡修造さん、コートを駆け回り最後にはコートの上で大の字になって空を仰ぎました。
その後オリンピックにも3大会連続出場をも果たしプロテニスプレイヤーとして活躍していきました。
そして1988年まだ30歳という若さで現役引退を表明しました。
しかし引退会見では松岡修造さんは「引退」という言葉を使わず「卒業」という表現にこだわりました。
そしてその後はテニス選手権のトーナメントアドバイザーや後継者を育てるための育成や指導などを行っています。
そしてそれだけではなく活躍場所を芸能界にも広げスポーツコメンテーターをはじめ、バラエティー番組やトーク番組などでも
「熱い男」として松岡修造さんは人気を博しています。
ちなみに近年では好感度からイメージキャラクターに抜擢される事も多く、2008年のCM起用ランキングでは
木村拓哉さんと1位に並んだんですよ!すごいですよね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
若い頃の画像からみても、松岡修造さんのテニスに対する情熱はすごいものだという事が伝わってきますよね。
幼いころから現役時代を経て引退するまでの間、苦しさ悔しさもたくさん乗り越えてきたのではないでしょうか。
そしてウィンブルドン選手権、本当にすごい活躍ぶりでしたよね。
今は残念ながら引退をしていましたが、まだまだ7いつまでもパワーがある松岡修造さん。
今後もその熱いパワーでたくさんの場所で活躍していってほしいですよね!
次に読まれている記事はこちら↓