
女優として数々の作品に出演されている萬田久子さん。
今ではベテラン女優というイメージですが、若い頃はどのような感じだったのでしょうか。
今回は萬田久子さんのプロフィールと若い頃の写真を見ていきます。
着物ファッションや息子さんについてもお話ししましょう。
萬田久子のプロフィール
- 誕生日:1958年4月13日
- 職業:女優
- 出身:大阪府大阪市大正区
- 本名:万田久子
- 身長:167cm
- 事務所:オフィス萬田
- 配偶者:なし
- 子供:息子
萬田久子さんは1958年、大阪府大阪市に生まれます。
高校卒業後は帝塚山短期大学に進学し、卒業しています。
短大生の頃、ミスユニバースの日本代表に選ばれました。これはすごいですよね。
世界大会にも出場したのですが、残念ながら賞を受賞することはありませんでした。
1979年に上京し、芸能界デビューします。
当初は芸名を付ける予定だったのですが1980年に連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」に本名で出演したため、
そのまま本名で活動することになりました。
ちなみに連続テレビ小説にはその後も「ぴあの」「すずらん」「あさが来た」と計4作品に出演しています。
翌年の1981年には「帰ってきた若大将」で映画デビュー。
その後も数々のドラマ、映画に出演してきました。
「京都殺人案内」、「八丁堀の七人」、大河ドラマ「天地人」、「大奥」、「スリ三姉妹シリーズ」などが代表作です。
2時間サスペンスに出演されることが多いですね。
1981年には「愛のオーロラ」というシングルで歌手デビューもします。
「夏の別れ」というアルバムもリリースしますが歌手として活動したのはこの時だけでした。
バラエティ番組の出演は少ないほうですが、2011年の4月から9月まで「笑っていいとも!」の金曜日レギュラーでした。
また、海外ドラマ「デスパレートな妻たち」で吹き替えも担当しています。
萬田久子の若い頃の写真
萬田久子さんの若い頃の写真を見ると、とってもきれいで美人ですね。
若い頃から大人っぽいので今とあまり印象は変わらないです。
ずっとこのままのスタイルを貫いていそうですよね!
息子との関係は?
萬田久子さんは戸籍上は未婚なのですが、息子さんが1人いらっしゃいます。
萬田久子さんさんは長年、アパレル関係の社長を務める佐々木力さんと不倫関係にありました。
そして1987年、萬田久子さんが31歳の時にニューヨーク息子さんを出産したんです。
佐々木さんはその後離婚したのですが、入籍はせず事実婚でした。
そして2011年に佐々木さんは亡くなり、死別しています。萬田久子さんは喪主を務めました。
萬田久子さんは息子さんを溺愛していたのですが、息子さんが23歳の時8歳年上の女性と授かり婚をすると聞いて猛反対します。
一人息子ですから思い入れも強かったんでしょうね。そしてこの時関係が悪化。
翌年には佐々木さんが亡くなったため、仲介に入ってくれる人もいなくなってしまい、
余計にこじれてしまい5年ほど絶縁状態でした。
ですが現在は和解して息子さんだけでなく、お嫁さん、お孫さんとも関係は良好だそうです。
今ではお孫さんにメロメロだそうですよ!
着物に関する本も出版!
萬田久子さんは背が高く何でもお似合いですが、着物のファッションにもこだわっています。
デニムやベルトなどを取り入れた斬新な着こなしをされています。
普段は着物を着ない方でもこれなら着てみたいと思われるのではないでしょうか。
着物といえばお正月や神社などを思い浮かべますが、萬田久子が着物を着るのはそういう時ではありません。
外国人が多い時や、若い人が多い時は、洋服ではなく着物を着ることで自分を引き立てるようにしているとか。
なるほど!と納得の考え方ですね。
「感じる着物」という本も出版されているので興味があるからはぜひ見てみてください。
まとめ
萬田久子さんのプロフィールと若い頃の写真を見てきました。
今でもおきれいな萬田久子さんですが、若い頃からとても美人できれいですね。
最近ではおしゃれな着物の着こなしも話題になっています。
プライベートでは長年事実婚をしていて息子さんが1人います。
相手の男性はすでに他界していて、息子さんとは一時絶縁状態でしたが今は良好な関係だそうです。