
デビュー当時の若い頃から現在までヒット曲を飛ばし続けている桑田佳祐さん。
サザンオールスターズとしてだけでなく、ソロでも活躍されていますよね。
2020年の東京オリンピック民放共同企画の応援ソングも担当されています。
若い頃から変わっていないようなイメージがありますが、実際はどうでしょうか。
桑田佳祐さんのプロフィールと若い頃の画像、過去のヒット曲を振り返ってみましょう。
息子さんについても見ていきます。
桑田佳祐のプロフィール
- 誕生日:1956年2月26日
- 職業: ミュージシャン、シンガーソングライター
- 出身:神奈川県茅ケ崎市
- 本名:同じ
- 別名義:嘉門 雄三、桑竹 居助、JOHN PAUL MacLENNON、夷撫 悶汰、古賀 紅太、波乗亭 米祐、稲川ジェーン・フジオカ
- ニックネーム:けいちゃん、くわっちょ
- 事務所:アミューズ
- 配偶者:原由子(ミュージシャン・1982年~)
- 子供:息子2人
桑田佳祐さんは1956年に神奈川県茅ケ崎市で生まれます。
父親は映画館を経営していました。
姉が集めていたビートルズのレコードなどを聞き、音楽に興味を持つようになります。
高校は鎌倉学園高等学校に進学。英語の成績が良かったそうです。
大学は青山学院大学に進学しました。大学では音楽サークルに入り、音楽活動を開始します。
バンドを組みますがメンバーは安定せず、バンド名もコロコロ変わっていました。
1976年に、バンド名を「サザンオールスターズ」に変更。バンド名もメンバーも安定しました。
メンバーで青学出身なのは桑田佳祐さんのほか、原由子さんと関口和之さん、そして脱退した大森隆志の4人です。
桑田佳祐さんは1年留年したのち、学費滞納で1978年に除籍処分となっています。
卒業はしていなかったんですね。
その後、1978年に「勝手にシンドバッド」でサザンオールスターズとしてメジャーデビューしました。
翌年の1979年に「いとしのエリー」が大ヒットし、一気に人気バンドになりました。
その後、サザンオールスターズとして活動する一方、KUWATA BANDなどのユニットを組んだり、ソロでも活動をしています。
ソロ活動するときは色々な別名義を使うことがありますが、どれも桑田佳祐らしい遊び心がいっぱいの名前ですね。
桑田佳祐の若い頃の画像
桑田佳祐さんの若い頃の画像を見ると、昔から変わってないですね!
優しそうな目元がそのままです。
髪型もほとんど変わりないので余計に変わっていない感じがしますね。
息子は似ている?
桑田佳祐さんは1982年に同じサザンオールスターズのメンバーの原由子さんと結婚。
2人の息子さんがいらっしゃいます。長男は桑田祐宜(ゆうき)さん。
祐宜さんも両親と同様青山学院に進学し、それからバンド活動を行っています。
2012年にREAD ALOUD(リードアラウド)という名前でメジャーデビューしました。
画像を見るとどちらかといえば桑田佳祐さん似かな、と思いますがそっくり!というほどではないですね。
次男は洋輔(ようすけ)さんといいます。こちらは一般の方で、画像は出回っていませんでした。
数々の名曲を紹介!
桑田佳祐さんはサザンオールスターズやユニットでも数々の名曲を残していますが、
ここではソロの桑田佳祐名義の代表曲をご紹介しますね。
ソロデビューしたのは1987年。「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」でデビューしました。
その後「真夜中のダンディ」、「祭りのあと」、「波乗りジョニー」、「白い恋人達」、「明日晴れるかな」などが代表曲です。
正直、バンドをやっている人がソロで出している曲はそこまで売れているイメージがないですが、
桑田佳祐さんの楽曲はソロでも有名なものが多く、さすが!という感じです。
CMやドラマなどタイアップがついている曲も多いですもんね!
ベストアルバムも出ているのであまり聞いたことがない人はチェックしてみてください。
まとめ
桑田佳祐さんのプロフィールと若い頃の画像を見てきました。
大学時代にサザンオールスターズを結成し、デビュー。ソロとしても数々の名曲を残してきました。
息子さんも音楽活動をされていてバンドデビューされているんですよ。
今後の桑田佳祐さんの活躍も楽しみですね!