黒柳徹子の若い頃が美人?画像で半生を振り返る
出典:itLIFE by FRaU(イットライフ バイ フラウ)

こんにちは、コロコレ編集部です。

 

黒柳徹子さんといえばその個性的な髪形や、自身が司会を務めている「徹子の部屋」での独特の司会っぷりのが印象的ですよね!

 

特に芸人さんがゲストの時にはかなりの無茶ぶりから”芸人殺し”とまで言われています^^;

そんな黒柳徹子さんなので、若い世代は司会者としての黒柳徹子さんしか知らないと思いますが、実は女優さんだって知ってましたか?

 

しかも若い頃は超美人だったんです!

 

今回はそんな「徹子の部屋」でおなじみ、女優であり現在もバリバリの現役で司会をしている、黒柳徹子さんの若い頃からの半生を、画像で振り返りたいと思います!

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画像で振り返る黒柳徹子の半生

黒柳徹子 若い頃 画像

  • 生年月日:1933年8月9日
  • 職業:女優・タレント・司会
  • 出身:東京都港区乃木坂
  • 愛称:トットちゃん
  • 所属事務所:(有)吉田名保美事務所

父親はヴァイオリニストで、母親は声楽家という音楽一家に生まれる。

 

幼少期にはかなり問題児だったようで、小学校1年生で当時通っていた小学校を退学させられてトモエ学園という私立の小学校に編入、

その後慶應義塾大学を卒業し、NHK放送楽団の劇団員となる。

 

さて、ここから黒柳徹子さんの若い頃からの半生を画像で振り返っていきますよ!

黒柳徹子20代の頃の画像はお肌がピチピチ!

 

黒柳徹子 若い頃 画像

 

こちらが黒柳徹子さんが20代のころの写真です。

 

右上の写真はまだ大学を卒業した頃なんで23歳くらいだそう、お肌がピチピチでまだあどけない感じです、それにしても美人ですね^^

 

20代の頃の黒柳徹子さんはテレビタレントの先駆けとして日本放送に入社し女優として活躍していました。

 

20代の後半にはNHK総合テレビで「夢であいましょう」というテレビ番組に出演していて、

この番組はコメディと歌謡が融合した、後のバラエティ番組の先駆けとなった番組です。

 

黒柳徹子さんは初代ホステスの中嶋弘子さんが結婚で降板した際に、変わって司会を務めていました。

黒柳徹子30代後半に単身渡米!

黒柳徹子 若い頃 画像

 

 

こちらが30代のころの黒柳徹子さんの画像です、着物姿が美しいですね!

 

黒柳徹子さんは20代後半には「ヤン坊 ニン坊 トン坊」という放送劇のとん坊役に抜擢されたり、

その他にもテレビやラジオで大活躍していましたが、過労により1か月の入院をしてしまいます。

 

その時に主治医から「自分のやりたいことをやりなさい」と言われて仕事のやり方を変えていったようです。

 

その頃から舞台などの仕事もするようになり、知り合った作曲家のハロルド・ロームさんの夫人のローレンスさんから、

ニューヨークへ来ることを勧められ渡米することを決意しました。

 

ニューヨークは黒柳徹子さんにとって、20代の頃にはできなかった「自分らしく生きる」という事ができる場所だったのだぞう。

 

美人の黒柳徹子さんですし、しかもお出かけの際にはいつも振袖を着ていたので、パーティなどに引っ張りだこだでした。

 

今では黒柳徹子さんのトレードマークである”玉ねぎヘア”もニューヨーク時代に生まれた髪型です。

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黒柳徹子40代で徹子の部屋が始まる

 

黒柳徹子 若い頃 画像

 

黒柳徹子さんが帰国したのはニューヨークへ行って1年後くらいで、

帰国のきっかけになったのは「徹子の部屋」の前身番組「13時ショー」の司会が決まったことでした。

 

「13時ショー」は1972年~1976年まで放送し、1976年からは「徹子の部屋」として放送が開始します。

 

「徹子の部屋」はもう言わずもがなですが超長寿番組で、女優が司会の番組で1万回を超える放送回数を数えてギネス記録にも認定されています。

 

ちなみに1万回目のゲストは近藤真彦さんと東山紀之さんです!

 

この頃から黒柳徹子さんは女優としての仕事をほとんどしないようになったそうで、

理由としては「悪役をやっていたら、悪い人が司会をやっているように映るから」だそうです。

 

著書「窓際のトットちゃん」を執筆

ちょうどこの頃、1981年に黒柳徹子さんは「窓際のトットちゃん」という自伝を執筆しています。

 

「窓際のトットちゃん」は黒柳徹子さんが若い頃通っていたトモエ学園を舞台にしたノンフィクションの作品です。

 

内容としては黒柳徹子さんが小学校の時に学習障害(自称)などによって小学校を退学し、トモエ学園に編入した頃のエピソードが綴られています。

窓際のトットちゃんの口コミ

~ゲボ温泉~
先日のつぶやきでも書いたように、ふと入手して三十何年かぶりに再読。大人になってから読むと、小さい子供でも読めるようなわかりやすい文章なんだけど、その中に意外と深いメッセージが込められてるのが理解できて、800万部売れた国内最高のベストセラー本だというのも納得。きっとウチの母親もそういうのがわかってて敢えて幼い頃の私にこの本を読ませたのだろう。読み終えて感想を無理矢理言葉にして書くと「ほっこりした読了感」と言ったところ。また心がすさんだ時に再読したい。

 

~メルコ~
著者が通ったトモエ学園での出来事を綴った一編。ベストセラーとなった本書のことは知っていたが、黒柳徹子のドラマにより手に取ってみた。幼い子どもでも読みやすい文章で、幼年期を回想していく。

 

~ttm~
黒柳徹子さんの小学生時代の話。名言辞典みたいな一冊だった(海のものと山のものとか)。良いなと思った言葉は「世に恐るべきものは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず・・・」。トモエ学園の生徒がいい子ばかりでめっちゃユートピア。リトミックの授業おもしろそう。あとがきも良かった。
引用:読書メーター

基本的には児童書なので、子供でも読めるようにやさしい内容になっているのですが、

口コミにもあるように、大人になって改めて読んでみるとまた違った奥深さがあって、ほっこりできる本ですよ♪

 

累計800万部を発行した戦後最大のヒット作品で、なんと現在も売れ続けているそうですよ!

 

 

黒柳徹子50代の頃はザ・ベストテン全盛期

 

黒柳徹子 若い頃 画像

 

こちらが50代の頃の黒柳徹子さんの画像です。

 

この頃黒柳徹子さんは伝説の音楽番組「ザ・ベストテン」で、久米宏さんと黒柳徹子さんがダブル司会者としてお茶の間を賑わせていました。

 

「ザ・ベストテン」は1時間生放送の音楽番組としてトップ10にランキングされた歌手が生歌を披露するという番組です。

 

「ザ・ベストテン」が全盛期の80年代といえば、山口百恵、松田聖子、中森明菜などなどアイドルの全盛期でしたね。

 

トップ10には必ずアイドルが入っていて視聴率も常に高くて、全盛期には常に30%の視聴率を叩き出すモンスター番組でした。

 

そして司会の久米宏さんと黒柳徹子さんもかなり個性的でしたよね。

 

この頃の黒柳徹子さんもやはり若いですが、この頃にはほぼ完成形という感じです!

 

まとめ

という事で今回は「徹子の部屋」でお馴染み、黒柳徹子さんの若い頃からの半生を画像を見ながら振り返ってきました。

 

20代の頃の黒柳徹子さんの画像なんか、衝撃的なくらいに美人でしたね^^

 

ここ数十年はほとんど女優としては活動されていないので、実は女優だと知っている人は意外と少ないんじゃないでしょうか?

 

司会者として今も現役バリバリでやっているのは本当にすごいです^^;

ここまできたらぜひ「100歳徹子の部屋」が見てみたいですよね!

あなたはどっち?

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黒柳徹子の若い頃が美人すぎて驚いた?

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