
福岡ソフトバンクホークスの監督として、チームを日本一に導いた工藤公康さん。
現役時代から何度も日本一を経験しているんです。すごいですよね!
今ではすっかり監督のイメージで、若い頃の現役時代を知らないという人も多いでしょう。
そこで今回は工藤公康さんのプロフィールと若い頃の画像、息子さんや娘さんについてもまとめました。
工藤公康のプロフィール
- 誕生日:1963年5月5日
- 職業:元プロ野球選手、野球解説者、監督
- 出身: 愛知県豊明市
- 本名:同じ
- 身長:175cm
- 配偶者:あり
- 子ども:長男(工藤阿須加・俳優)、次男、長女(工藤遥加・プロゴルファー)、次女、三女
工藤公康さんは愛知県豊明市出身。
子どものころから野球をやっていて、名古屋電気高校(現・愛知工業大学名電高校)に進学します。
第63回全国高等学校野球選手権大会、つまり甲子園に出場しています。
ここではノーヒットノーランを記録しています。史上18人目の快挙でした。
高校時代からすごかったんですね!ちなみにこの時のバッテリーは山本幸二さんでした。
チームをベスト4に導いた工藤公康さんはプロ野球選手ではなく、就職を希望していました。
ですが西武ライオンズが強引にドラフト指名し、プロ入りしました。
この時西武ライオンズに入団していなかったら全く違う人生になっていたでしょうね。
1982年から1994年まで西武ライオンズ、1995年から1999年までは福岡ダイエーホークス、
2000年から2006年までは読売ジャイアンツ、2007年から2009年は横浜ベイスターズ、
2010年に西武ライオンズに戻りました。
このうち西武ライオンズ、福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツでは日本シリーズの優勝経験があります。
3チームで日本一を経験しているなんてすごいですよね!
「優勝請負人」という異名も持っていました。さらに、日本シリーズ通算最多奪三振記録も持っています。
本人は2011年以降も現役続行を希望していたのですが、移籍するチームが見つからず、
トレーニングをしながら1年浪人しています。
メジャーへの挑戦も考えていたのですが、けがの影響なども有り断念。
2012年4月に西武ドームで引退セレモニーが行われました。
この時、西武の黄金時代を共に支え、ダイエーの監督をしていた秋山幸二さんがバッターボックスに立ちました。
選手から監督へ
現役引退後は野球解説者として活躍し、その後2014年11月に福岡ソフトバンクホークスの監督になりました。
前監督は西武ライオンズ時代の先輩、秋山幸二さんです。
秋山さんの意思を継いだような形で監督になったんですね。背番号も秋山さんの「81」を引き継いでいます。
初めてのシーズンとなった2015年にいきなりリーグ優勝。クライマックスシリーズも制しました。
2016年は2位でしたが2017年は再びリーグ優勝、日本一になっています。
残念ながら監督は3年間で監督としてもこれだけの実績を残しているというのは本当にすごいですね。
工藤公康の若い頃の画像
工藤公康さんの若い頃の画像を見てみると、今と全体的な印象は変わらないですが、少しかわいらしい感じがしますね。
イケメンなので人気があったのも納得です。
工藤公康の息子や娘は似ている?
工藤公康さんの息子さんは、俳優の工藤阿須加(あすか)さんというのは有名ですよね。
テレビでも家族のエピソードを語られることが多く、ついつい注目してしまいます。
選手、監督として忙しい中、しっかり教育をされていたんですね。
工藤公康さんと工藤阿須加さんはそれほど似ているという訳ではありませんが、目力が強いところは似ているかもしれません。
また、娘さんはプロゴルファーの工藤遥加さんです。
工藤遥加さんはあまり工藤公康さんに似てないかなと思いますが、工藤阿須加さんとは少し似ていますね。
じつは工藤公康さんのお子さんは全部で5人いらっしゃいます。
兄弟そろった画像を見るとやはり全員似ているかな~という感じもしますね。
まとめ
工藤公康さんのプロフィールと若い頃の画像、そして息子さん、娘さんについても見てきました。
現役時代も、監督になってからもチームを何度も日本一に導いてきた工藤公康さん。
「優勝請負人」なのは監督になってからも健在です!今後の活動も楽しみですね。