
80歳を過ぎても現役の女優として活躍されている岸恵子さん。
今でもおきれいですが、若い頃はどのような感じだったのでしょうか。
今ではすっかりベテラン女優なのであまり想像がつかないですよね。
そこで今回は岸恵子さんのプロフィールと、若い頃を画像とともに振り返っていきます。
現在の活動や「徹子の部屋」に出演されたときのエピソードも見ていきましょう。
岸恵子のプロフィール
- 誕生日:1932年8月11日
- 職業:女優、文筆家
- 出身:神奈川県横浜市神奈川区
- 本名: 同じ
- 身長:161cm
- 事務所:舞プロモーション
- 配偶者:イヴ・シャンピ(映画監督・1957年 - 1973年)
- 子供:娘(デルフィーヌ・麻衣子・シャンピ)
岸恵子さんは神奈川県横浜市神奈川区に生まれます。
12歳の時に横浜大空襲があり、10年ほど横浜市南区に移住。その後はまた神奈川区に戻っています。
学生時代は小説が好きで作家を目指していました。特に川端康成さんを尊敬していたとか。
ですが高校生の時、「美女と野獣」を観て映画にも関心が出てきます。
そして、見学に行った松竹の大船撮影所でスカウトされたんです。
作家を目指していて女優に興味がなかった岸恵子さんは断るのですが、
どうしても本当の学生に出てほしいと熱望され、「我が家は楽し」1本だけ出演することに。
映画は見事に大ヒット。1本だけの予定であったのに岸恵子さんはそのまま女優の道を歩むことになったのです。
その後も数々の映画に出演し、松竹の看板女優になります。
特に大ヒットしたのは「君の名は」3部作です。
ですが、本人はこの映画のことばかりいつまでも話題にされるのが嫌だったといわれています。
1956年には日本とフランスが共同で制作した「忘れえぬ慕情」に出演します。
そしてその翌年、映画の監督だったイヴ・シャンピと結婚します。監督は11歳年下でした。
この時代にフランス人との国際結婚なんてすごいですよね。
今でも珍しいことだと思いますが、当時は大変珍しかったそうです。
結婚後はパリに住むようになりますが、日本でも女優活動を続けていました。
イヴ・シャンピさんとの間に娘が生まれますが、1975年に離婚。
その後も2000年まではパリに住み、パリと日本を行き来していました。
日本に戻ってからは横浜の実家で暮らしています。
1983年には「巴里の空はあかね雲」というエッセイを発売。
元々小説家を目指していた岸恵子さん。
その後もエッセイ、自伝、小説などを出版し、作家としても活動されています。
岸恵子の若い頃の画像が美人!
岸恵子さんは80歳を過ぎた今でも美しいですが、若い頃の画像を見るととっても美人ですよね。
岸恵子さんが映画「君の名は」三部作に出演されたとき、ストールを巻いていました。
これをみんながまねしてブームに。いわゆる「真知子巻き」ですね。
これだけ美人だったらファッションをみんながマネしたくなるのも納得ですよね。
「徹子の部屋」では何を語った?
岸恵子さんは過去にも何度か「徹子の部屋」に出演していますが、2019年にも出演しました。
80歳を過ぎても現役の女優同士のトークは見ものです!
この時はパリの自宅を紹介したり、カード詐欺被害に遭いそうになった話をしたりしていましたよ。
また徹子の部屋に出演するのが楽しみですよね。
現在の活動は?
若い頃からとても美しかった岸恵子さんですが、現在でも美しさは健在。
2013年には自らの恋愛経験をもとにした「わりなき恋」という小説を執筆しています。
2015年には舞台化され、自ら出演しています。
その後も、ドラマ、舞台に出演したり、小説を執筆したりと現在も精力的に活動されていますよ。
まとめ
岸恵子さんのプロフィールと若い頃の画像を見てきました。
初めは小説家を目指していたのですが映画の撮影所でスカウトされ、女優としての道を歩くことになった岸恵子さん。
若い頃の画像を見るととっても美人なので、スカウトされたというのも納得です。
1作だけのつもりで映画に出演しましたがその後もヒット作を連発し、80歳を過ぎた現在でも女優として活動されています。
「徹子の部屋」に出演した際は同じく現在でも女優を続けている黒柳徹子さんとのトークが話題になりました。
お二人ともこれからも輝いていてほしいですね。