
今でこそ知らない人はいない個性派女優、樹木希林さん。
わたしはフジカラーCMのおちゃらけた元気なイメージが強くて、あのコミカルな演技が好きで、TVで流れてくるとついつい見入ってしまいます。
樹木希林さんが出演している映画を見ると、その一言の重さに涙を流した事も・・・
卓越した演技力で魅了する樹木希林さんの若い頃の演技力や画像、気になりますよね?調べてみました!
もくじ
元々は薬剤師を目指していた!?
樹木希林さんは市ヶ谷にある千代田女学園に入学後、部活動として選んだのが演劇だったみたいで、その傍ら薬剤師を目指していたそうです。
ですが、大学受験直前にスキーで足を怪我され、断念しました。
薬剤師を目指していたなんて想像つかなかったですね!
若い頃から目指す道が定まっている姿勢が尊敬します。
女優活動をスタートする
その後、特にやりたいこともなく、ただ周りの同級生たちが大学などでキラキラしているのが羨ましかったという理由で、
文学座付属演劇研究所に在籍し「悠木千帆(ユウキ チホ)」名義で女優活動を本格スタートさせました。
上の写真が文学座にいる若い頃の写真です!
おちゃめな印象が残る今と変わらない笑顔が素敵です(^-^)
薬剤師の道から女優の道へ。
進学のタイミングの時に怪我をされて、色んな感情が渦巻く中の決断、
このきっかけがなければ、樹木希林さんを見ることはなかったのでしょう。
七人の孫でブレイクし人気女優に
1964年1月6日から同年7月6日および、1965年6月7日から1966年2月28日まで放送していた、
TBS系列局の「ナショナル劇場」枠で放送されていた番組でのワンシーン。
主演の森繁久彌(もりしげ ひさや)さん扮する明治生まれの祖父を中心に、
大正生まれの父母と7人の孫の織り成す大家族ホームドラマです。
樹木希林さんはお手伝い役でレギュラー出演をし、当時のTV番組はほとんどが生放送で、アドリブは苦手な役者さんが多かった。
主演の森繁久彌さんはアドリブが多い役者さんで有名。
そんな森繁さんのアドリブに対しての返しが絶妙だと話題になりました。一躍人気になられます。
この「七人の孫」への出演がきっかけでドラマ、映画などで活躍していくようになります。
また森繁さんとの出会いにより演技だけでなく人生などいろんなことを学ばせてもらい、結果として演技に深みを持たせることができたと話されていました。
1965年に文学座の正座員となり1966年に文学座を退団した後も、
個性派女優として多くのドラマ、映画、舞台に出演していました。
よく見かける樹木希林さんの愛嬌が出せる演技力で人気になったのでしょうね♪
正座員になってから一年で次の道へと進んでいる行動力が凄い!
一歩踏み出す事は誰しも臆しますが、先を見据える力が演技力へと昇華しているように思えます(^o^)♪
「男はつらいよ」でのワンシーン
1970年1月15日に公開された映画「男はつらいよ フーテンの寅」。
26年にわたる下町人情大河喜劇映画「男はつらいよ」シリーズの三作目になります。
樹木希林さんは主人公、車寅次郎が泊まる旅館の娘さん役で出演。
寅さんが持っている写真を見て、「いいなぁと」自分が孤児なのを比べて涙をし、寅さんのジョークで笑顔を零す。
泣いた後に、パァ!っと笑う演技を20代という若さでこなしてしまう樹木希林さん。
鮮やかな演技でつい見入ってしまいますね。
郷ひろみさんとの会話が凄い!
1978年5月17日から1979年2月7日にTBS系列「水曜劇場」で放送された「ムー一族」。
コメディ仕立てのホームドラマです。
当時、初めて樹木希林さんと郷ひろみさんが出会ったのが笑いのシーンで、樹木希林さんから、
「笑うことが一番難しいのよ。あなたは本気で笑ってない。泣くのは簡単なのよ。
笑うのは本当に難しいのよ。心から笑ってごらんって」と教えられたそうです。
郷ひろみさんは「強烈でしたよ」と当時の印象を語っていたとか。
出会ったばかりでのやり取りで言われたら、わたしでしたら根負けしそうな気がします(笑)
人に意見を言えるほどの実力を備えた方は目線が違いますね!
若い頃からおばあちゃんをしていた!?
樹木希林さんは、おばあちゃんが当たり役だったらしく、『寺内貫太郎一家』でのジュリィィィ〜が印象的で知ってる方もいるのではないでしょうか?
当時はまだ20代後半ぐらいでした。
その役の完成度と言ったら、言葉に言い表せれないぐらいスゴイものがあります。
10歳以上も離れている役者さんの実母に見えるなんて、誰もマネできないですよ。
ただこの役、樹木希林さん自らやりたいといいかなった役でもありました。
その理由が樹木希林さんらしい。
「縁側で寝ているだけでいい、ラクをしたかった」
結果としては、大忙しになっていくんですが(^^;
ですが、そこは女優さんだなと思います、今写真を見ても本当に20代の女性がしているのか判断できないくらいです。
演技に妥協はない!?そのストイックすぎる内容とは
樹木希林さんは役を演じるうえで、演技にはとても厳しい方だったらしく共演した女優さんが泣いてしまうほどだそうです。
例えば、若い頃におばあちゃんを演じるとなった時には、顔にシワを書くなどの「老けメイク」では違和感が出てしまう。
そのため髪の毛だけ脱色し、年齢が出やすい手は手袋をしていたといいます。
また佇まいにも気を配り、身をかがめ小さくするなど細かいところにまで観察し演じていたそうです。
自分の芸名を売る!?
1977年にテレビ朝日誕生記念番組でのオークションコーナーで、
「売る物がないから」と自らの芸名をオークションにかけ、今の樹木希林さんの名前になる。
他にも、20代の頃から老け役が多く、髪を脱色し白髪にしたり、
老けメイクをし、手の若さを隠す為に手袋をつけて出演していました。
自分の名前を売るという行為は中々出来る事じゃないですよね。
築き上げてきた名前という知名度をポンと渡せる行動力、誰しもが若い頃は綺麗な姿を出したいのにそれを隠す徹底ぶり。
全てを演技力に変えていく様は感動を覚えますね(:_;)
まとめ
今回は樹木希林さんの若い頃の画像と演技力に焦点を当ててお話しました。
樹木希林さんの若い頃を見てみると、やはりなるべくしてなったのだろうな、という印象しかありませんでした。
元々、内気な性格らしいのですが、そんな素振りは一切見えませんよね?
若い頃からこの道と決めて、その為に人生を費やすのは、並みならぬ努力あっての今があるんじゃないでしょうか。
天性の才能もあるのでしょうが、彼女なりの努力を垣間見れた気がしました。
でもやはり、天真爛漫なイメージが強いですね♪
わたしが知る彼女は、
・思った事はズバッと言う
・思いやりがある暖かい人
なのですが、「努力」が表に出ない方って本当に脱帽します。
夫の内田裕也さんのロックンローラーのイメージと、彼女の性格が合っていて、
二人が結ばれたのもまた運命なんだと再確認しました。
改めて樹木希林さんの見方が変わった気がします(^-^)
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