
「若大将」のニックネームでおなじみの加山雄三さん。
若い頃から活躍されているというのは知っていても、実際の画像などを見たことがない人も多いかもしれません。
加山雄三さんは俳優、歌手として活動されてきました。
今回は加山雄三さんのプロフィールと若い頃の画像、現在についても見ていきましょう。
加山雄三のプロフィール
- 誕生日:1937年4月11日
- 職業:俳優、歌手、タレント
- 出身:神奈川県横浜市→神奈川県茅ケ崎市
- 本名: 池端 直亮(いけはた なおあき)
- 愛称:若大将
- 身長:175cm
- 事務所:加山プロモーション
- 配偶者:松本めぐみ(元女優・1970年-)
- 子供:長男(池端信宏・映像作家)、次男(山下徹大・俳優)、長女(梓真悠子・タレント・料理研究家)、次女(池端えみ・女優)
加山雄三さんは1937年に神奈川県横浜市で生まれます。
俳優の上原謙さん、母は女優の小桜葉子さんの間に生まれました。
さらに、高祖父は明治維新の頃活動されていた政治家の岩倉具視さんです。すごい家系の方だったんですね。
生後8カ月まで横浜で育ちますがその後、東京都大田区田園調布に引っ越します。
ですが小さい頃の加山雄三さんは病弱で大腸カタルという病気も患っていたため、
2歳になる前に自然環境の良い場所へ、と神奈川県茅ケ崎市に引っ越したのです。
地元の小学校、中学校を卒業後、慶應義塾高校に進学。
大学は慶應義塾大学法学部政治学科卒に進学しました。
大学卒業後に東映に入社。「男対男」という映画で俳優デビューします。
さらに1961年には「夜の太陽」で歌手デビューも果たします。
当時俳優さんが歌手活動をすることが多かったですが、加山雄三さんは弾厚作(だんこうさく)という名前で作曲も行っています。
ただ俳優が映画の主題歌を歌っているというだけでなく、進学しました。
ソングライターの先駆けだったんですよ!
当時は宝田明さんが東宝の看板役者だったのですが、加山雄三さんはそれに代わる存在でした。
1961年の「大学の若大将」がヒットし、若大将シリーズはシリーズ化します。
10年間で17作品も制作された大人気シリーズになりました。
今でも「若大将」は加山雄三さんのニックネームですもんね。
1960年代後半からは活躍の場をテレビに移します。
ドラマ、歌番組だけでなく、バラエティ番組にも出演するようになったんですよ。
プライベートでは1970年に女優の松本めぐみさんと結婚。
松本さんは結婚を機に芸能界を引退しましたが加山雄三さんと一緒にトーク番組などに出演されることもあります。
お二人の間には4人のお子さんがいますが、家族でCMに出演されたこともありますよ。
理想の家族像ともいわれています。
4人のお子様は全員が芸能界で活動されているんです。まさに芸能一家になりましたね。
加山雄三の若い頃の画像
加山雄三さんの若い頃の画像を見ると、りりしい男前ですね。
現在とはまたイメージが違うかな?と思いましたが笑い顔の画像を見ると変わっていないですね。
このままかっこよく年を重ねていかれるんでしょう。
歌手としての活躍は?
加山雄三さんは1961年に歌手デビュー。
フォークソングやニューミュージックの全盛期に歌手としても活躍されていたんです。
繰り返しになりますが、加山雄三さんは歌うだけでなく作曲もされていて、
他の俳優歌手とは違う、シンガーソングライターだったんですよ。
24時間テレビのラストで歌う「サライ」の作詞は谷村新司さんですが、作曲は加山雄三さんなんですよ。
あんな名曲を作曲されていたんですね。
歌手としてもコンスタントに新曲を出し続けています。
紅白歌合戦には通算で17回出場し、1986年から1988年の3年間は司会も務めているんですよ。
現在は何をしている?
加山雄三さんは2019年11月に脳梗塞を起こし、入院しています。
ですが症状は軽かったため、入院治療をして現在は回復されていますよ。
11月に予定していたコンサートは翌年に延期になりましたが、12月の公演は予定通り行い復帰しています。
まとめ
加山雄三さんのプロフィールと若い頃の画像、現在についても見てきました。
若い頃から俳優、歌手として活動されてきた加山雄三さん。
俳優でありながら作曲も行うシンガーソングライターでもあります。
現在もコンサートを行っていますので、興味がある方は足を運んでみてください。