
五木ひろしさんは日本を代表する演歌歌手の一人ですよね。
若い頃から現在まで活躍されていますが、若い頃の姿はあまり見たことがないという人も多いのではないでしょうか。
じつは若い頃はイケメンだったと話題なんですよ。
今回は五木ひろしさんの若い頃の画像や、今まで紅白で披露した曲などを振り返っていきたいと思います。
五木ひろしの生い立ちとデビュー、改名まで
- 生年月日:1948年3月14日
- 職業:歌手、作曲家、俳優
- 出身:京都府
- 本名:松山数夫
- 所属事務所:五木プロモーション
- 配偶者:あり(元女優:和由布子)
- 子ども:あり(3人)
五木ひろしさんのお父さんは韓国系の方で、五木ひろしさんも生まれたときは李和夫という名前だったそうです。
その後、日本に帰化して日本人となりました。
生まれた場所は京都ですが、幼稚園から小学校2年生までは三重県鳥羽市。
その後福井県美浜町に移ったそうです。
五木ひろしさんは小学校の頃から将来は歌手になりたいと思っていて、中学を卒業すると京都に出て関西音楽学院に入学します。
その1年後に作曲家の上原げんとさんの内弟子になり、上京しました。
そして上京してたった4カ月後のコロムビア全国歌謡コンクールにて優勝。
「松山まさる」という芸名でコロンビア専属歌手としてデビューします。
上京してすぐにデビューというのはすごいですよね。それだけ才能があったということですよね。
ですが五木ひろしさんが17歳の時に恩師の上原げんとさんが死去。そこから不遇の時代が続きます。
1964年に「松山まさる」という名でデビューしてその後「一条英一」「三谷謙」とデビューから5年間で2度も改名しますがヒットには至りませんでした。
その後、1971年に「五木ひろし」として「よこはま・たそがれ」」で再デビュー。
これが大ヒットして現在の五木ひろしに至る、というわけです。
「五木ひろし」の芸名には「いいツキをひろおう」という意味もあるそうです。
この名前の甲斐もあってか、五木ひろしさんは日本を代表する演歌歌手になったのです。
五木ひろしの若い頃のイケメン画像!
そんな五木ひろしさんですが、若い頃イケメンだったと話題になっています。
確かに画像を見ると整った顔立ちで男性にしては肌がきれいですよね。
若い頃から女性のファンも多く、人気だったようです!それも納得ですね。
五木ひろしが紅白で歌った曲は?
五木ひろしさんは2018年までに紅白歌合戦に48回も出演されています。
これは、北島三郎さんと同じく歴代2位タイの出場回数です。すごいですよね。
ベテランの歌手になると毎年おなじみの曲を歌う方も多いですが、五木ひろしさんは48回の出場で40曲を披露されています。
通算出場曲数40曲というのは歴代一位の記録なんですよ。
それだけたくさんのヒット曲を持っているということですよね。
初出場時は「よこはま・たそがれ」
五木ひろしさんが紅白に初出場したのは1971年。
はじめて披露したのは「よこはま・たそがれ」でした。
超有名な「よこはま・たそがれ」でさえ紅白で披露したのはたったの2回。
1971年の次は2014年に披露されています。
「千曲川」で初のトリをつとめる
五木ひろしさんが初めて紅白のトリをつとめたのは1975年。
5回目の出場でトリというのもすごいですよね。五木ひろしさんは通算トリ回数も歴代1位の13回です。
初めてのトリで歌った曲は「千曲川」。千曲川はその後、1997年、2015年にも披露しています。
ちなみに大トリをつとめたのはそれから2年後の1977年。
その時は「灯りがほしい」を披露されています。
その他にも「ふるさと」「凍て鶴」「契り」「夜空」などのヒット曲を披露されていますよ。
今後の紅白でもどの曲を歌ってくれるのか楽しみですね。
まとめ
五木ひろしさんの若い頃と紅白で披露した曲を画像を交えて紹介してきました。
デビューまでは早かった五木ひろしさんですが、デビューしてからは不遇の時代が続きなんども芸名を変えていたんですね。
ですが五木ひろしとしてデビューしてからはデビュー曲がいきなり大ヒット!そして紅白歌合戦に48回も出場する歌手となったのです。
紅白通算出場曲数40曲など、さまざまな記録も持っていてすごいですよね。
今後も紅白を初めどんな曲を披露してくれるのか楽しみですね!