
歌手として、女優として活躍されてきたいしだあゆみさん。
子供のころはフィギアスケートをやっていたのですが、スカウトされ芸能界に入りました。
そして現在でも活躍されています。
いしだあゆみさんの若い頃はどのような感じだったのでしょうか。
プロフィールと若い頃の写真を見ていきましょう。
また、おすすめの歌をランキング形式で紹介していきます。
いしだあゆみのプロフィール
- 誕生日:1948年3月26日
- 職業:アイドル、歌手、女優
- 出身:長崎県佐世保市→大阪府池田市
- 本名: 石田 良子(いしだ よしこ)
- 事務所:イザワオフィス
- 配偶者:萩原健一(1980年-1984年)
- 子供:なし
いしだあゆみさん、本名・石田良子さんは1948年に長崎県佐世保市に四人姉妹の次女として生まれます。
生後2か月の時、肺炎にかかり重体になったのですが、米軍基地の病院に行ってペニシリンをもらい、一命をとりとめました。
子供のころは姉の石田治子(後のオリンピック選手)さんと一緒にフィギアスケートをしていましたが、
芸能界からスカウトされ12歳の時に梅田コマ劇場の舞台に立ちます。
児童劇団ともだち劇場で泉田行夫さんの指導を受けていました。
その後、1962年の14歳に時に上京。いずみたくさんの元でレッスンを受けていました。
1964年、16歳で「ネェ、聞いてよママ」でレコードデビューします。
この時すでにいしだあゆみという芸名になっていたんですよ。
いしだあゆみさんの若い頃の活動については連続テレビ小説「てるてる家族」で描かれています。
原作がいしだあゆみさんの義弟であるなかにし礼さんで、
作中に登場する岩田夏子はいしだあゆみさんがモデルになっているんですよ。
ちなみに、上原多香子さんが演じています。
主演は四女のなかにし礼さんの奥様ですが、いしだあゆみさんの若い頃に興味がある方にもおすすめのドラマです。
その後、いしだあゆみさんは1968年にリリースした「ブルーライトヨコハマ」が大ヒットし、150万枚を売り上げます。
紅白歌合戦にも9年連続で出場していたんですよ。
一方、1964年からテレビドラマにも出演していました。
1979年に事務所を移籍したのをきっかけに、歌手から女優業に力を入れるようになります。
歌手活動は1980年まで積極的に行っていましたが、その後はリリースが減ります。
1986年から何年も新曲を出していなかったのですが、2015年に約30年ぶりに新曲をリリースしました。
プライベートでは1980年に俳優の萩原健一さんと結婚。
結婚後は事実上の引退状態でしばらく芸能活動を休止していました。
ですが、萩原健一さんと1984年に離婚し、再び芸能活動をされています。
ちなみに、萩原健一さんとの結婚は事実婚だったと萩原健一さんが著書の中で書いていたのですが、
事実婚というのは嘘で正式に入籍されていたそうです。
いしだあゆみの若い頃の写真
いしだあゆみさんの若い頃の写真を見ると、とっても美人ですね!
今と雰囲気はあまり変わりませんがオリエンタルな感じで目を引きます。
おすすめの歌をランキング形式で紹介!
いしだあゆみさんは歌手としてたくさんの歌をリリースしていますが、
中でもおすすめの歌をランキング形式で紹介していきますね。
- 3位「ネェ、聞いてよママ」
いしだあゆみさんのデビュー曲です!若い頃のかわいらしい楽曲でおすすめですよ。
- 2位「あなたならどうする」
1970年にリリースされた歌です。
1990年にネッスル日本のcmソングになっているので、
リリースされた当時に生まれていなくても知っている人が多いのではないでしょうか?
- 1位「ブルーライトヨコハマ」
いしだあゆみさん最大のヒット曲ですよね。
この曲が横浜のイメージという人もいるくらい有名な楽曲です。
ドラマや映画の代表作は?
いしだあゆみさんははじめ歌手活動がメインでしたが徐々に女優業にも力を入れるようになりました。
1964年にテレビドラマ「7人の孫」でドラマデビュー。
その後も数々のドラマ、映画に出演されています。
1977年に公開された映画「青春の門 自立編」では報知新聞助演女優賞を獲得しています。
その後「北の国から」、「金曜日の妻たちへ」などに出演し、当たり役となりました。
さらに、1989年には連続テレビ小説「青春家族」で清水美砂さんとともに主演を務めました。
当時いしだあゆみさんは41歳。当時の連続テレビ小説ヒロインの最年長記録だったんですよ。
まとめ
いしだあゆみさんのプロフィールと若い頃の写真そしておすすめの歌をランキング形式でご紹介させていただきました。
初めは歌手として活動されてきたいしだあゆみさん。
1970年代後半から徐々に女優業に力を入れ、たくさんの作品に出演されています。
今後のいしだあゆみさんの活動も楽しみですね!