
「少年時代」などのヒット曲で知られる井上陽水さん。
現在では大ベテランですが、若い頃はどのような感じだったのでしょうか。
井上陽水さんのプロフィールと若い頃の画像、ヒット曲やライブについて見ていきましょう。
井上陽水のプロフィール
- 誕生日:1948年8月30日
- 職業:シンガーソングライター、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー
- 出身:福岡県嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市幸袋地区)
- 本名:井上 陽水(いのうえ あきみ)
- 別名義:アンドレ・カンドレ
- 配偶者:一般女性(1974年~1976年)、石川セリ(歌手・1978年~)
- 子供:長男、長女(依布サラサ・歌手、作詞家)、次女、次男(TAKITA・俳優)
井上陽水さんは1948年に福岡県嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市幸袋地区)で生まれます。
実家は歯医者で井上陽水さんが生れたばかりの時にお父さんが開業しました。
そして、5歳の時に田川郡に引っ越したのです。
小学生のころから近所の集まりなどで歌を披露することが多く、歌唱力が褒められていました。
また、姉の影響で洋楽も聴くようになります。
中学3年生の時にラジオで聴いた「プリーズ・プリーズ・ミー」に感銘を受け、ビートルズに夢中になりました。
毎日ビートルズを歌っていて、周りからもビートルズ狂と言われていたんですよ。
歯医者を継ぐために受験をしたのですが失敗。
浪人中に聴いていたラジオから自分にもできるのではないかと思い、ギターを始めます。
ギターに触れたのは意外と遅いんですね。
2年浪人しましたが結局大学には合格できず大学進学を諦め、音楽の道に進もうと決意します。
ですが父には「東京で勉強する」と伝え上京しました。
1969年に「スマッシュ!!11」というラジオ番組の視聴者が作った音楽を作るコーナーに投稿します。
井上陽水さんは「カンドレ・マンドレ」を自宅で録音し、持ち込みました。
これが採用され何度もラジオで流れるようになったのです。
この時の芸名は「アンドレ・カンドレ」でした。
ホリプロに入り、CBSソニーからアンドレ・カンドレの名前で「カンドレ・マンドレ」でデビュー。
シングル3枚を発売しますが全く売れず、アンドレ・カンドレとしての活動は終わりました。
井上陽水さんにも売れない時代があったんですね。
1971年にポリドールのディレクターから声を掛けられ移籍。
井上陽水(ようすい)として、シングル「人生が二度あれば」をリリースします。
井上陽水さんの本名は同じ感じで「あきみ」といいますが、
マネジメントをしていた奥田義行さんに「ようすい」と命名されたんですよ。
3枚目のシングル「夢の中へ」がヒットし、一気に知名度が上がります。
ポリドールに所属していた頃はテレビ出演はしていませんでした。
1975年に吉田拓郎さん、泉谷しげるさん、小室等さんたちとフォーライフ・レコードという会社を立ち上げ、
そこから楽曲をリリースするようになります。
その後はドラマの主題歌などタイアップが付いたり、
他の歌手に楽曲提供をするようになったり音楽界でますます活躍していきました。
井上陽水の若い頃の画像
井上陽水さんの若い頃の画像を見ると、アフロ姿が印象的ですね。
現在はサングラスをしていることが多いので目が見えるのも新鮮です。
結構つぶらな瞳ですね。
「少年時代」などのヒット曲を紹介!
井上陽水さんのヒット曲について見ていきましょう。
まずはじめのヒット曲は1973年の「夢の中へ」。
この曲はのちに斉藤由貴さんもカバーしていますね。
1982年には「リバーサイドホテル」をリリース。
当時はそれほどヒットしなかったのですが1988年のドラマ「ニューヨーク恋物語」の主題歌に抜擢され、11位まで浮上しました。
発表されてから6年もたってからヒットしたんですね。
1990年から1991年に「少年時代」の映画の主題歌として「少年時代」をリリースします。
こちらもリリース直後はそれほどヒットしなかったのですが、
「ハンディカム・CCD-TR105」のCM曲となり大ヒットしました。
その後は1993年「素晴らしきかな人生」の主題歌「Make-up Shadow」、
2001年の「コーヒールンバ」のカバーなどがヒットしていますよ。
ライブ活動は行っている?
井上陽水さんは現在でも積極的にライブツアーを行っています。
2019年にはデビュー50周年を記念したツアーが開催されたんです。
数々のヒット曲を一度は生で聞いてみたいですよね。
まとめ
井上陽水さんのプロダクションと若い頃の画像を見てきました。
「少年時代」などのヒット曲で知られていますが、若い頃はあまり売れないなど苦労した時代も長かったんですね。
現在でもライブ活動などを行っていますので、興味のある方は足を運んでみてください。