
歌手として、俳優として活躍してきた舟木一夫さん。
若い頃は「御三家」と呼ばれてアイドル的存在だったんですよ。
今回は舟木一夫さんのプロフィールと若い頃の画像、歌やコンサートについても見ていきます。
舟木一夫のプロフィール
- 誕生日:1944年12月12日
- 職業:歌手、俳優
- 出身:愛知県中島郡萩原町(現・一宮市)
- 本名: 上田 成幸
- 身長:172cm
- 事務所:アイエス
- 配偶者:一般女性(1974年~)
- 子供:息子
舟木一夫さんは1944年に愛知県中島郡萩原町(現・一宮市)に生まれます。
祖母にハーモニカを買ってもらったことと、三橋美智也さんの歌を聞いたことから音楽に興味を持ち始めます。
そして歌手を目指すようになり、名古屋までレッスンに通いました。
高校2年年生の時に「歌のチャンピオン」という番組で松島アキラさんの「湖愁」を歌い、チャンピオンになります。
その翌月に松島アキラさんのコンサートに行ったところ、
ご本人がステージ上のから「誰か一緒に湖愁を歌わないか?」と声をかけたそうです。
舟木一夫さんは友人に手をあげさせられ、ステージに上って一緒に歌ったそうです。
コンサートに取材に来ていた「週刊明星」の記者が目を付け、そこからデビューにつながったのです。
舟木一夫さんは愛知県から上京し、東京の高校に通いながらレッスンを受けていました。
翌年の1963年に「高校三年生」で歌手デビュー。
当時制服姿で歌うことがあった橋幸夫さんに対抗し、舟木一夫さんも制服姿でデビューしました。
歌謡界ではかなり異例なことなんですよ。
レコードのジャケットできている制服は、衣装ではなく実際に舟木一夫さんが通っていた高校のものです。
「高校三年生」はデビュー曲にして100万枚のヒット。
日本レコード大賞新人賞を受賞します。
また、同名の映画も制作され、舟木一夫さんは主演を務め大ヒットしました。
すぐに役者デビューもされていたんですね。
舟木一夫さんは大変人気が出て橋幸夫さん、西郷輝彦さんとともに「御三家」と呼ばれていました。
翌年の1964年には初のコンサートを開催します。
浅草国際劇場で行われたのですが、特別列車や観光バスが運行されるほどの人気だったんですよ!
今だったら考えられないですよね。
1960年代は順調に歌手活動をされていたのですが、1970年代に入ると歌謡番組が一気に減少し、
舟木一夫さんも不遇の時代を迎えます。
心身の不調で一時仕事を休んでいた時期もありました。
ですが、デビュー30周年を機に中高年のアイドルとして復活。
1997年には新橋演舞場での初座長公演を務め、
1999年には中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!'99」を歌うなど活動の幅を広げています。
舟木一夫の若い頃の画像
舟木一夫さんの若い頃の画像は、やはり学生服姿のものが多いですね。
とってもさわやかな印象です。今とあまりイメージは変わらないですよね。
代表的な歌は?
舟木一夫さんの一番の代表作といえばやはりデビュー曲の「高校3年生」ですよね。
その後「修学旅行」、「学園広場」という歌をリリースし、「学園三部作」と呼ばれました。
青春ソングが多いイメージですが、「銭形平次」のテーマ曲など時代ものも歌うことが多いんですよ。
さらに、文学をモチーフにした楽曲も多いです。
「絶唱」、「夕笛」、「初恋」などの叙情歌謡もヒットしたんですよ。
叙情歌謡だけを収録した「その人は昔」というアルバムは大ヒットし、本人主演で映画化もされました。
現在でもコンサートで活躍!
舟木一夫さんは現在でも定期的にコンサートを開いていらっしゃいます。
舟木一夫さんご本人は「同じ青春を過ごした仲間にしか通用しない歌い手でいい」とおっしゃっているそうです。
それでも長年支持しているファンがいるというのはすごいことですよね。
とはいえ、新しい歌を出されていないという訳でもないありませんよ。
まとめ
舟木一夫さんのプロフィールと若い頃の画像をまとめました。
青春ソングでデビューした舟木一夫さんですが、歴史ものや叙情歌謡もヒットしました。
現在も歌手としてコンサートなどで活躍されています。
また、毎年舞台で座長も務め俳優としても活躍されています。
これからの活動も楽しみですね。