
「いつでも夢を」などの歌がヒットした歌手、橋幸夫さん。
今ではベテラン歌手ですが、デビューしたときは「御三家」と呼ばれてアイドル歌手のようだったんですよ。
そんな橋幸夫さんの若い頃の姿を知らないという人も多いかもしれません。
今回は橋幸夫さんのプロフィールと若い頃の画像を振り返っていきます。息子さんの活動にも触れていきますね。
橋幸夫のプロフィール
- 誕生日:1943年5月3日
- 職業:歌手、俳優
- 出身:東京都荒川区
- 本名:同じ
- 事務所:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
- 配偶者:一般女性(1971年-2017年)、一般女性(2017年-)
- 子供:娘、息子(橋龍吾・元俳優)
橋幸夫さんは1943年に東京都荒川区で生まれます。
実家は呉服屋で橋幸夫さんは9人兄弟の末っ子でした。
学生時代はボクシングをやっていたのですが、母親のすすめで歌謡教室に通うことになり、歌の世界に入りました。
自分から歌手になりたいと思っていたわけではなかったんですね。
1960年、17歳の時「潮来笠」でレコードデビュー。第2回レコード大賞の新人賞を受賞しました。
その年に紅白歌合戦にも出場しています。
デビュー当時はアイドルのような人気があり「御三家」と呼ばれていました。
他の2人は舟木一夫さんと西郷輝彦さんです。3人とも今でも活躍されているのがすごいですよね。
橋幸夫さんは歌手だけでなく、俳優業もしていました。
レコードデビューの翌年の1961年には「潮来笠」で映画デビューしています。
同じ年にテレビドラマ「俺ら次郎長」にも出演。
橋幸夫さんが俳優をしていたというのは知らない人も多いのではないでしょうか。
映画は1970年に出演されたのが最後ですが、ドラマは現在でも時々出演されているんですよ!
2019年には「ノーサイドゲーム」にも出演されていました。
1980年頃になってものまね芸人などが橋幸夫さんのマネをするようになりました。
それに伴い、バラエティー番組に出演する機会も増えたんですよ。
1982年には「男と女はこうなる:橋幸夫の運命学入門」という本を出版。
その後も認知症の母の介護生活をつづった本などを出版しています。
プライベートでは1971年に客室乗務員の女性と結婚しています。
娘と息子がいますが、2017年に離婚。40年以上連れ添った末の熟年離婚だったんですね。
橋幸夫さんは離婚成立後、すぐに別の女性と再婚しています。
橋幸夫の若い頃の画像
橋幸夫さんの若い頃の画像を見てみると、今と雰囲気は変わらないですね!
若い頃はやはり初々しい感じはしますが、画像を見ただけで橋幸夫さんだと分かります。
同一人物なので当たり前といえば当たり前ですが、目、鼻、口、1つ1つのパーツはそのまんまですよね!
息子は何をしている?
橋幸夫さんの息子は元俳優の橋龍吾さんです。1997年に「踊る大捜査線」でドラマデビュー。
その後、「ハルモニア この愛の涯て」、「SPECIAL-スペシャル-」、「悪いオンナ」、「女医」、
「明日があるさ」などのテレビドラマに出演していました。
ですが、ドラマは2004年の「砦亡き者」、映画は2005年の「カーテンコール」を最後に芸能活動を休止しています。
現在何をしているのかというのははっきりわかっていませんが、
役者をやめて一般サラリーマンになったのではないかと言われています。
画像を見る限りでは、息子さんは橋幸夫さんにあまり似ていないですね。
ちなみに、演歌歌手の橋宏之さんは橋幸夫さんの甥にあたります。
橋幸夫の代表的な歌は?
橋幸夫さんの代表的な歌について見ていきましょう。
橋幸夫さんは「潮来笠」で歌手デビュー。
先ほどもお話しした通り新人賞を受賞しいきなり注目を集めました。
1962年には「いつでも夢を」が大ヒットします。
これは吉永小百合さんとのデュエットで100万枚突破の大ヒットとなりました。
第4回日本レコード大賞も受賞したんですよ!
さらに、1966年には「霧氷」でも日本レコード大賞を受賞。
短期間でこれだけ賞を取るなんてすごいですよね。
その他は「子連れ狼」、「若者の子守唄」、「俺ら次郎長」などの歌が有名です。
まとめ
橋幸夫さんのプロフィールと若い頃の画像を見てきました。
「潮来笠」「いつでも夢を」「霧氷」など有名な歌をいくつも歌ってきた橋幸夫さん。
ですが歌手だけでなく俳優としても活動しています。
また、息子の橋龍吾さんは元俳優で、数々のドラマに出演されていましたが今は芸能活動を休止しています。
橋幸夫さんと息子さんの共演も見てみたいですね。