
博多大吉先生という愛称で呼ばれている、博多華丸・大吉の博多大吉さん。
今ではしっかりしたベテラン芸人というイメージですが、若い頃はどのような感じだったのでしょうか。
博多大吉先生の本名や高校などのプロフィール、若い頃の画像を見ていきましょう。
博多大吉先生の本名などのプロフィール
- 誕生日:1971年3月10日
- 職業:お笑い芸人
- 出身:兵庫県神戸市→福岡県古賀市
- 本名:吉岡 廣憲(よしおか ひろのり)
- ニックネーム:大吉先生
- 身長:182cm
- 事務所:吉本興業
- 配偶者:一般女性(2007年~)
- 子供:なし
博多大吉先生、本名吉岡 廣憲(よしおか ひろのり)さんは、1971年に兵庫県神戸市で生まれます。
父は福岡、母は福島出身なのですが、なぜ神戸市で生まれたのかは
両親が「絶対に教えない」「墓まで持って行く」といっているため分からないそうです。
そこまで言われると気になっちゃいますよね。
そして2歳の時に福岡県古賀市に引っ越します。
父が定職についていなかったため、少々時代は貧しい生活を送っていました。
高校時代はどんな感じだった?
博多大吉先生は、アメトーーク!の「中学の時イケてない芸人」にも出演されていましたよね。
中学時代はバスケ部に所属していたのですが、レギュラーにはなれませんでした。
それでも辞めずにずっとバスケ部に所属していたことから他校の生徒に「捕虜」と呼ばれていたそうです。
高校は光陵高等学校に進学します。偏差値は50程度の高校なので中レベルですね。
博多大吉先生は、強豪のバスケ部に所属していたということから高校でもバスケ部に所属しますが、やはり3年間補欠でした。
ちなみにこの頃は芸人ではなく、プロレスラーを目指していました。
プロレス好きとしても有名ですもんね。
大学時代、そして芸人としての活動
高校卒業後は福岡大学経済学部に入学します。
そして落語研究会に入り、後に相方になる博多華丸さんに出会いました。
この時は福々亭こまんどという名前で活動していたんですよ。
その後、博多華丸さんとコンビを組んで吉本に入ります。
はじめは「鶴屋華丸・亀屋大吉」というコンビ名でした。
鶴屋華丸・亀屋大吉の名前で福岡を中心に活躍してきましたが、2004年に博多華丸・大吉に改名。
その翌年に東京進出します。
初めは舞台中心でしたが、徐々にテレビ出演も増えていきました。
今ではNHKの「あさイチ」の司会を務めるようになり、すっかり朝の顔となりましたね。
博多華丸・大吉としてだけでなくピンでもさまざまなテレビ番組に出演されています。
有吉反省会、ライオンのグータッチはレギュラー、人生が変わる1分間の深イイ話、IPPON グランプリでは準レギュラーとして出演。
また、アメトーーク!にもよく出演されていますよね。
2008年のアメトーーク大賞では博多大吉先生の「焼却炉の魔術師」が流行語大賞になりました。
2010年、2011年、2016年にダイナマイト関西で優勝、2014年にTHE MANZAIで優勝、
2015年にIPPON グランプリで優勝という実力もあります。
2016年、2017年は2年連続でM-1グランプリの審査員も務めました。
プライベートでは2007年の36歳の時に12年付き合っていた一般女性と結婚。
子供はいらっしゃいません。
博多大吉先生の若い頃の画像
博多大吉先生は今でもシュッとしていてかっこいいですが、若い頃の画像を見るとイケメンですね!
背も高いので余計にかっこよく見えますね。
博多大吉先生と呼ばれるようになったきっかけは?
今では「博多大吉先生」と呼ばれることが多いですが、なぜ先生と呼ばれるようになったのでしょうか。
きっかけはアメトーーク!でした。
ある日の収録で、他の出演者がみんな後輩芸人だった時にスタッフが「博多大吉先生」と呼んだそうです。
そこからいろんな芸人が「先生」と呼ぶようになったんですね。
2015年に「IPPONグランプリ」で松本人志さんが「大吉先生」と呼んだことで、さらに広まったようです。
頭も切れるので「先生」というニックネームがぴったりですよね。
2017年の日経エンタテイメントの「タレントパワーランキング」芸人部門で2位に選ばれました。
タモリさんに次いで2位なんです。総合でも9位なんです。
それだけパワーがある方なので先生と呼ばれるのも納得ではないでしょうか。
まとめ
博多大吉先生の本名や高校などのプロフィール、若い頃の画像について見てきました。
初めは福岡で活躍されていた博多華丸・大吉ですが、のちに上京します。
舞台、バラエティで活躍されるようになり、今ではテレビで見ない日はないというほどですよね。
今後も博多大吉先生の活躍が楽しみです。