
俳優として活躍されていた萩原健一さん。名作映画などにも数多く出演されていましたよね!
ベテラン俳優というイメージが強いかもしれませんが、若い頃はグループサウンズでも活躍していたんですよ!
そこで今回は萩原健一さんの若い頃の画像や出演した映画作品を振り返っていきます。子供についても見てみましょう。
萩原健一のプロフィール
- 誕生日:1950年7月26日
- 職業:俳優、歌手
- 出身:埼玉県北足立郡与野町(現 さいたま市中央区)
- 本名: 萩原敬三
- ニックネーム:ショーケン
- 事務所:KR株式会社
- 身長:174cm
- 配偶者:小泉一十三(1975年 - 1978年)、いしだあゆみ(1980年 - 1984年)、由紀(1996年 - 2006年)、冨田リカ(2011年 - 2019年 )
- 子ども:長女
萩原健一さんは埼玉県出身。実家は鮮魚店でした。
高校在学中にスカウトされ、ザ・テンプターズのボーカルとしてデビューします。
ザ・テンプターズはザ・スパイダースの弟分として位置づけられていました。
17歳の時にデビューして、高校は2年で中退しています。
「忘れ得ぬ君」でザ・テンプターズでデビューし数々のヒット曲を出しますが、1970年に解散します。
その後、井上堯之さん、大野克夫さん、沢田研二さん、岸部一徳さん、大口広司さんとともに
PYG(ピッグ)というグループを結成します。
ザ・スパイダースとザ・タイガース、ザ・テンプターズのメンバーがそろっていてスーパーグループと呼ばれていました。
萩原健一さんは沢田研二さんとツインボーカルをしていたんですよ!
豪華なグループですが活動したのは1971年、1972年の2年間だけです。
萩原健一さんは音楽よりも映画に興味が出て、映画監督を目指すことになります。
1972年に松竹映画「約束」で助監督として現場に入っていたのですが、主演が降板したため、急遽代役として出演することに。
この映画で注目され、監督ではなく俳優の道を歩むことになったのです。
三國連太郎さんいわく「何をするか分からない」という迫力のある演技で、
松田優作さんなどその頃の若手俳優に影響を与えました。
歌手から監督を目指していたのにそれだけの演技というのはすごいです。
本当に天性の才能があったんでしょうね。
1972年には「太陽にほえろ!」にも出演。新人刑事のマカロニ役で人気になりました。
1975年にはソロとして歌手活動も再開します。その後、歌手、俳優として活躍していきました。
そして2019年3月26日にGIST(消化管間質腫瘍)のため68歳で亡くなりました。
実は2011年から闘病生活を送っていたのですが、本人の希望で公表していなかったのです。
最期までかっこいい生き方ですよね。
子供は何人いる?
萩原健一さんは4度の結婚をされています。
何度も結婚されているので子供もたくさんいるようなイメージがあるかもしれませんが、
実際は小泉一十三さんとの間に娘が1人いるだけです。ちょっと意外ですね。
ちなみにこの娘さんは1975年生まれ。一般人ですので名前や画像などは公表されていません。
萩原健一さんに似ているのか気になるところですね。
萩原健一の若い頃の画像
萩原健一さんの若い頃の画像を見ると、おしゃれなイケメンという感じがしますね。
年齢を重ねてからもかっこよかったですが、また印象が違います。
都会的な雰囲気でもてそうですね。
萩原健一の出演映画
萩原健一さんが映画デビューしたのは、「約束」よりも前。
1967年に「濡れた逢引き」という映画にテンプターズとして出演していたんです。
昔から映画には縁があったんですね。だから代役として急に主役を演じることができたんでしょう。
主に映画に多く出演されていたのは1970年代の若い頃です。
「虹をわたって」「雨のアムステルダム」「八つ墓村」「その後の仁義なき戦い」「影武者」などの映画に出演しました。
DVD化されている作品も多いので見たことがない映画があればぜひチェックしてみてください。
テレビドラマも「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」「豆腐屋直次郎の裏の顔」
「課長さんの厄年」「利家とまつ」などに出演しました。
まとめ
萩原健一さんのプロフィールと子供について、若い頃の画像も見てきました。
数々の映画に出演し、歌手活動も行ってきた萩原健一さん。
68歳の若さで亡くなってしまう今後の活動がもう見られないというのは残念でなりません。