
70歳を過ぎても現役でお笑い活動をされている萩本欽一さん。
それだけでなく、70歳を過ぎてから大学にも通っていたんですよ。
そんな萩本欽一さんですが、若い頃はどのような感じだったのでしょうか?
萩本欽一さんのプロフィールと若い頃の画像、自宅についても見ていきましょう。
萩本欽一のプロフィール
- 誕生日:1941年5月7日
- 職業:コメディアン、タレント、司会者、ラジオパーソナリティー、演出家、元野球チーム監督
- 出身: 東京府東京市下谷区稲荷町(現 東京都台東区)
- 本名:同じ
- ニックネーム:欽ちゃん、大将
- 身長:164cm
- 事務所:浅井企画、佐藤企画
- 配偶者:あり
- 子供:三男
萩本欽一さんは現在の東京府東京市下谷区稲荷町(東京都台東区)出身。
幼少期は東京で過ごしますが、父の商売が成功し、埼玉県浦和市に家を建てます。
埼玉県で裕福な幼少生活を送っていました。
時々父と浅草に遊びに行くことがあり、ここで芸能に目覚めます。
ですが小学校5年生の時に父の会社が倒産、稲荷町に戻り一転して貧乏な生活を送ることになります。
さらに高校時代に一家で夜逃げをし、両親は故郷に帰っています。
萩本欽一さんは貧乏生活から抜け出すために、中学卒業後に芸人になろうと決意します。
喜劇役者・大宮敏充さんのところに弟子入りしようとしますが、「せめて高校を出てから」といわれ高校に入学。
高校卒業後、大宮さんのいる浅草松竹演芸場に行く予定でしたが直前で進路を変更。
東洋劇場の研究生としてコメディアンになります。浅草フランス座などでストリップの間にコントをしていました。
その後、東洋劇場を辞め、浅草松竹演芸場で劇団浅草新喜劇を立ち上げ座長として公演を行います。
このころ、のちの相方となる坂上二郎さんや、浅井企画の社長、TBSのプロデューサーなどとの出会いがありました。
そして坂上二郎さんとコント55号を結成。たくさんのレギュラー番組を持つ人気芸人になります。
ですが、1970年代後半からは個々の活動が多くなりました。
萩本欽一さんは「スター誕生」「欽ドン!良い子悪い子普通の子」「欽ちゃんのどこまでやるの!?」
「欽ちゃんの週刊欽曜日」「ぴったし カン・カン」などの人気番組の司会をします。
どれも視聴率が高く、合計で100%を超えていたため「視聴率100%男」とも呼ばれていたんですよ。
ですが1985年3月に充電、として半年間休養をします。すべてのレギュラー番組を降板して休養するというのはすごい覚悟だったと思います。
萩本欽一さんの番組からは、関根勤さん、小堺一機さん、見栄晴さん、柳葉敏郎さん、勝俣州和さん、
はしのえみさんなど数々のスターが誕生しています。
萩本欽一さんの番組から育った芸能人は「欽ちゃんファミリー」と呼ばれています。
家族のような温かさだというのが伝わりますよね。
萩本欽一の若い頃の画像
萩本欽一さんの若い頃の画像は、今とほとんど変わらないですね!
画像を見ればすぐに萩本欽一さんだと分かります。
ここまで変わっていない人も珍しいのではないでしょうか。
自宅はどこにある?
萩本欽一さんの自宅は神奈川県中郡二宮町にあります。
芸能人の自宅というと都心にあるイメージですが小田原や大磯の近くで都心からは離れた場所ですね。
こちらの自宅でのんびり過ごされているんでしょうね。
70代で大学生に!
萩本欽一さんは2015年、74歳の時に社会人入試で駒澤大学仏教学部に入りました。
70歳を過ぎて4年制大学に通うなんてすごいですよね。
認知症対策の1つとして、興味のあった仏教を学ぶことにしたそうです。
1年生の時は欠席0で成績も優秀だったんです。ですが2019年の5月に自主退学をしています。
せっかく4年生になったのであと少しだったのにもったいないですよね。
退学の理由は、お笑いの仕事と卒論を両立するのが難しかったからだそうです。
たしかに認知症対策の大学で本業のお笑いができなくなっては元も子もないですが、やっぱりもったいないような気がしますね。
まとめ
萩本欽一さんのプロフィールと若い頃の画像、自宅や大学についても見てきました。
若い頃から人気番組をたくさん持っていた萩本欽一さん。
茨城ゴールデンゴールズの監督も務めるなど幅広く活動されています。
今後の萩本欽一さんの活動も楽しみですね!