麻生太郎の若い頃画像はイケメンでかわいい?家系図は?
出典:logmi

第92代目内閣総理大臣だった麻生太郎さん。

 

実はこの方の家系図が非常にすごいことになっているんです。

 

麻生太郎さんが政界にはいるまでどういったことがあったのでしょうか、今回は若い頃の画像と共に振り返っていきたいと思います。

 

また幼い頃がめちゃくちゃかわいい?さらに大人になった麻生太郎さんはイケメン?

 

その真相なども探ってみたいと思います。

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幼少期の麻生太郎さんがかわいい?麻生太郎の家系図がすごすぎ!

 

  • 本名:麻生太郎
  • 生年月日:1940年9月20日
  • 出身地:福岡県飯塚市

まずはじめに幼少期の麻生太郎さんの画像を載せましたのでごらんください!

 

当時人気子役の!!と紹介されそうなくらいのイケメンでかわいい幼少期ですよね。

 

画像見て思わず「かわいい!」と声に出してしまいました。

 

そんな麻生太郎さんですが、血筋がすごすぎなんですよ。

 

麻生太郎さんの祖父が元内閣総理大臣の吉田茂さんという事はご存知の方も多いのではないでしょうか?

 

さらには、大昔のご先祖様も必ず学校の教科書で1度はみたことがあるであろう大久保利通さんがいるんですよ!

 

ここまできたらもうすごい!という言葉しか思いつかないくらいの家系ですよね。

 

麻生太郎さんは生まれたときから既に運命が決まっていたんでしょうね。

 

ちなみに麻生さんの入学した小学校の名前は「麻生塾小学校」ん?麻生?同姓の学校かしら・・・とおもったそこのあなた、違うんですよ!

 

なんとこの「麻生塾小学校」はこの麻生太郎さんのために作られた小学校なんです!

 

当時の生徒は麻生さんを含めて4人のみ、これがまた全員麻生産業の幹部のお子さん達だったんですよ。

 

「どこの小学校出身?」「あっ僕のために作ってもらった小学校に通ってたんだ!」という会話を大きくなったらするのでしょうか!

 

私ならちょっと自慢でいってみたくなっちゃいます、いやちょっとどころじゃないですね。

 

小学三年生の時に上京し学習院初等科に編入し、そのまま大学までエスカレータでいき卒業しました。

 

卒業後は新聞社に入社しますが、その同時期にスタンフォー大学の試験にも合格したという通知がきたので

一日も出社することなく海外へ留学しました。

 

そして帰国した彼はしばらく社会勉強のために他の新聞社に入社、そして稼業の麻生産業を継いだのです。

麻生太郎さんといえば、クレー射撃!の伝説とは?

 

1973年にグループの中核企業となった麻生セメント(現在の㈱麻生)の代表取締役社長に就任した麻生太郎さんは炭鉱業より

セメント業への転換を成功させました。

 

その当時麻生太郎さんには伝説とよばれているものがあったんです。

 

それは「クレー射撃」というものです、麻生太郎さんといえばクレー射撃というくらい当時話題となったんですが、

この「クレー射撃」とはそもそもなんなのしょうか?

 

散弾銃を用いて、空中などを動くクレーと呼ばれる素焼きの皿をねらって打ち破壊させるというスポーツ競技なんですよ。

 

知ってましたか?私は恥ずかしながら全く知りませんでした。

 

なんとその競技、当時のオリンピックに出場までしたという腕前だったんです。

 

すごすぎですよね、家系もすごいのに麻生太郎さん自身もスポーツ競技で当時大活躍していたなんて・・。

 

しかもこの「クレー射撃」には麻生さんの逸話があるのだそうです。

 

この競技を行うときは15秒以内に打たないといけないというスロープレイ防止のためのルールがあるのですが

そのルールが作られたのは、麻生太郎さんが射撃ポジションに入ると集中するためにやたらと時間を使うそうです。

 

なかなか撃たない事は、本人はいいでしょうが見ている人はたまったものじゃないですよね。

 

まだ撃たないの?とイライラが募りそうです。

 

国内で麻生さんに注意できる人が残念ながらいなかったのですがあまりにもその件でのクレームが殺到してしまったので

これを防止する為にこの「15秒ルール」が作られたのです。

 

すごすぎます・・・。

 

それにしてもこの「クレー射撃」をしている時の若い頃の麻生太郎さんの写真をご覧ください。

 

まるでなにかの映画のポスターみたいではないですか、あの幼少期からイケメンのまま成長していったんですね。

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いよいよ政界へ・・麻生太郎さんの気になる性格とは!

 

福田総理大臣が退陣を表明した1カ月後の2008年9月24日に第92代内閣総理大臣に就任しましたよね。

 

いよいよ麻生内閣が誕生です。

 

その時に、麻生太郎さんが発言したのが「日本を明るくて強い国にする」でした。

 

かっこいいですね、容姿もイケメンなんですが発言に関してもスマートでイケメンですよね。

 

ただ、当時内閣総理大臣としての麻生太郎さん、漢字の読み間違えや失言をよくしてしまいます。

 

その発言がメディアに取り上げられてしまい、信用問題につながり支持率も下がりました。

 

ただ麻生太郎さんは元々人懐っこい性格だったそうで別名「半径2メートルの男」とも呼ばれていたんですよ。

 

麻生太郎さんは失言などはしてしまうけれど、すごくひとなつっこく人間的な魅力が溢れていたんです。

 

そのことから半径2メートル以内に近づくと彼の魅力にたちまち誰もが虜になってしまうという事から名付けられたそうなんですよ。

 

素晴らしいことですよね、内閣総理大臣をはじめ政界の人間というのはどちらかというと厳しく冷たくというイメージがあります。

 

しかし麻生太郎さんは相手を安心させ近づきやすくさせるそんな魅力があったんでしょうね。

 

セレブだけれど庶民的な内閣総理大臣・・・それが麻生太郎さんなんですね!!

 

そう考えると私たち支持者からも安心してついていけそうな気がします。

内閣総理大臣麻生太郎、心に響くイケメンな名言・格言集!!

 

①「日本の借金は経済を分かっていないやつが煽ってるだけ!」

 

借金大国日本と毎日のように騒がれていますが、騒ぎ立てる政治家や世間の人に対し喝をいれた格言です。

 

②「面白く答えると問題になるので、つまんなく答えさせていただきます!」

 

とにかく失言などなにかと問題になってしまう麻生太郎さんの発言。

 

ただおもしろく発言はしていますが実はちゃんとした意図があり、議題になっていることを分かりやすく説明する、

それは国会中継をみている一般市民への配慮なのだそうですよ。

 

③「人が生きていく上で大切な事は、朝希望を持って目覚め昼は一生懸命働いて夜は感謝しながら寝る・・この気持ちであるとおもいます!」

 

この発言はなぜでたのか・・実は山本太郎さんが「生きている上で二番目に大切なものは?」という問いかけに、

見事麻生さんはこのセリフで返したのです。

 

すぐこんな名言が思いつくなんて、やはりこの方ただものではありませんよね。

まとめ

 

いかがでしたでしょうか。

 

今回は麻生太郎さんの若い頃の画像や家系図をご紹介しました。

 

麻生太郎さんの家系・・・・すごかったですね。

 

麻生さんのご先祖様は私たちが習ってきた歴史上の人物なんですから。

 

きっとこの麻生太郎さんも歴史に名前を刻んでいくのでしょうね。

 

それにしても若い頃からすごい生活をしていましたね、未だに麻生さんのために作った小学校の話が衝撃的で忘れられません。

 

そして麻生太郎さんの幼少期、すごくかわいい顔でしたよね、そのかわいい坊やがイケメン内閣総理大臣になるのですから。

 

今後も麻生太郎さん、歴史に名を刻めるようなすごい活躍に期待したいですね。

 

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